「百年の世界史」と沖縄をとりまく潮流

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アジア・アフリカの「脅威」としての沖縄

そして戦後である。木畑氏は、沖縄で戦後初期から独立論が主張されたことに着目し、アメリカによる信託統治を経て沖縄が独立し、国連にも加盟するといった将来像は、イギリスからの独立を果たしたアイルランドなどを想起したとき、「必ずしも現実離れしたものではなかった」と言う。

 また、アジア・アフリカの新興独立国の間では、沖縄が植民地に等しい状況におかれていると認識されていたが、その一方で、アメリカの軍事拠点と化した沖縄は、時に脅威だと見なされた。たとえば1960年4月にギニアのコナクリで開かれた「第二回アジア・アフリカ人民連帯会議」の決議では、沖縄について「アメリカ帝国主義によって核・ロケット基地に変えられ、かくして極東と世界の平和に対し、またアジア・アフリカ諸国民の連帯に大して重大な脅威となっている」と記された。ベトナム戦争でも米軍のB-52爆撃機の出撃拠点となった沖縄は、現地で「悪魔の島」と呼ばれた。

 このような状況に対して、日本復帰直後、嘉手納基地に隣接する読谷高校ではB-52の飛来に抗議する集会が開かれ、生徒は「悪魔なんて呼ばれたくない」と悲痛な思いを訴えた(『朝日新聞』2022年5月8日)。

「長い二〇世紀」とその後

 木畑氏は人が人を差別し、支配と被支配の関係が世界を覆った時代としての「長い二〇世紀」は19世紀後半に始まり、1990年代に終わったと見なす。南アフリカにおけるアパルトヘイトの終焉はその象徴であり、帝国的な性格を帯びたソ連による東欧支配にも終止符が打たれた。

 しかし、「長い二〇世紀」の終焉も、「沖縄においては、大きな変化とは結びつかなかったのである」という。確かに冷戦終結後も、一時、期待された「平和の配当」に基づく基地の大幅削減は実現しなかった。

 だが、観点を変えてみれば、上述したような戦後世界の大きな潮流は沖縄にも確実に反映されてきた。「帝国世界」の解体に伴ってアジア・アフリカの植民地が次々に独立を果たし、1960年には国連総会で「植民地独立付与宣言」が採択された。

 1962年に琉球立法院で可決された「2.1決議」は、この「植民地独立付与宣言」に言及しつつ沖縄の日本復帰を訴え、決議文を国連加盟各国に送付しようというものだった。この動きに、日米両政府は慌ててこれを封じようとする。近年の研究では、沖縄が植民地支配と同一視されかねないことは、アメリカが沖縄統治の永続性を再考する上で、相当に大きなプレッシャーとして作用した可能性があるという。

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