時代の混迷と歴史の視座
以前、ある出版社の編集幹部から聞いた言葉が印象深く記憶に残っている。「内外の情勢が安定している時にはビジネス書がよく売れる。それに対して時代が混迷し、先の見通しが経たないときには歴史の本がよく売れる」。
この見立てによれば、今は間違いなく混迷の時期だろう。戦後国際秩序の中軸を担ってきたアメリカはトランプ大統領の下、もはやそのような役割は負担でしかないと損得勘定の外交に走り、日本にとって大国化する中国からの圧迫感は強まるばかりである。
そのような中で行われる今回の総選挙では、与野党対決の構図も大きく変化し、近年になく流動的な選挙となりそうだ。
そのような時代の変動期の軋みが、ひときわ鮮明に映し出されるのが沖縄である。米中対立や台湾有事の可能性、そして日本の抑止力強化など、「力の論理」が前面化する中で、沖縄はどのような立場に立たされ、また、どのような潮流が沖縄を取り巻いているのだろうか。
沖縄という「定点観測地」
時代の大きな流れを掴むには、一世紀、すなわち、百年程度の中長期的な歴史の視座が必要だろう。ここ百年あまりの世界と沖縄をめぐる展開を考える手掛かりとなるのが、木畑洋一『二〇世紀の歴史』(岩波新書、2014年)である。同書は、イギリス帝国史を出発点としつつ、日本における国際関係史をリードしてきた木畑洋一氏(東京大学・成城大学名誉教授)によるコンパクトだが濃密な一冊である。
木畑氏はこの本で、植民地支配の下、世界が支配する側とされる側とに分かれていた「帝国世界」が二度の世界大戦で崩れ、支配されていた人々が独立と主権を獲得していったことに、二〇世紀の歴史の本筋があると見なす。
そして、その展開を掌握するための「定点観測地域」として、アイルランド、南アフリカ、それに沖縄の三か所を選び出した。いずれも、支配する側とされる側との狭間に立たされた地域だという。
明治国家の成立とともに琉球国は日本に編入され、ときに差別の対象となった。だが同時に、台湾や朝鮮などに日本帝国が版図を広げていく中で、現地の人々との関係では「支配する側」にもなった。
第二次世界大戦に際しては、1922年に独立を果たしたアイルランドがイギリスからの圧力にもかかわらず中立を維持したのに対して、南アフリカは「帝国世界」解体の潮流に逆行して、その後も白人支配体制(アパルトヘイト)の維持に固執する。そして沖縄は本土防衛の砦とされて住民の四分の一に及ぶ犠牲を出すことになった。