沖縄で相次ぐ「米軍機事故」の責任を問う―事態局限に資する―【上】

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任務が遂行されれば「ウエルダン」

 

2018年1月10日『東京新聞』―「米軍機5カ月連続7回目 事故と抗議の繰り返し」の記事から、日本側の抗議に対し米側発言は、「(在沖縄米軍は、)北朝鮮の情勢を踏まえ、猛訓練をしている」現状にある。訓練は「日本防衛」に直結しているのであって、文句を言うだけではなく、「我々の事情にも理解を示してほしい」、「猛訓練には軽微な事故はつきものだ」という米側の「日本の騒ぎに対する不満」がにじみ出ている。

 

2015年8月14日『沖縄タイムス+プラス ニュース』―「ヘリ墜落:陸軍トップ『残念だが事故は時々起きる』」では、2015年8月、米陸軍ヘリが伊計島沖で着艦失敗事故を起こした際、当時、米陸軍オディエルノ参謀総長が、「我々の日々の任務にリスクはつきものだ。一つの事故に過剰反応するつもりはない。残念だが事故は時々起きる。(今回の事故が)日本の内政上、どう問題になるか予想するつもりはない」などと強調、事故を重要視しない姿勢を示したと報道された。発言のバックグランドに在るのは、米軍の文化である。

 

1949年、米国は、NATO加盟に際して、「モンロー主義(孤立主義)」を棄て、「集団的自衛権行使の大転換」を図って以来、「世界の警察」を自認し、休むことなく他国の武力衝突、戦争に介入し、米国軍人の血を流して来た。このような米国であるからこそ、軍事上のトラブルが及ぼす影響について、一般国民は至近距離で「軍事」を受容し、軍人の「命懸けの行動」を畏敬しているのである。従って、米国民にとって軍および軍人は「邪魔者」ではない。ところが、今日の沖縄には、「米軍は邪魔者」という社会的空気や「迷惑」を前提とした時代精神が在って、相互理解のギャップを一層大きくしている。

 

2016年12月13日、「オスプレイが沖縄の浅瀬に着水した事故」については、日本の報道が「墜落・不時着水・不時着・着水」と、様々な表現を見出しに用いた。海外メディアの報道では、多くが“Go Down/Crash/Mishap/Ditch”と伝えた<http://buzzap.jp/news/20161214-osprey-crash/>。連続する事故について沖縄県知事は、「オスプレイの配備撤退を求めて政府に抗議」し、副知事は「アメリカは(沖縄を)植民地扱いしている」などと発言した。

 

これに対して、ニコルソン在沖縄海兵隊司令官は「住民に被害を与えていない。感謝されるべきだ」とコメントしたと報道されたが、これも日・米、あるいは軍種の「文化」の相異である。別けても海兵隊は、他の陸・海・空3軍種の文化ともそりが合わない「超勇猛果敢」な文化を誇っている。常時、他軍種に先駆けて最前線で戦う任務を自負する海兵隊においては、隊員の人命が損なわれても、任務が遂行されれば「ウエルダン」なのである。

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