沖縄で相次ぐ「米軍機事故」の責任を問う―事態局限に資する―【上】

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整備は万全の「はず」…人的過誤は無くなるか

 

多発した事案の原因に、機体の老朽化とか、塩害腐食を挙げる議論もある。しかし、この問題に優先して、飛行前に、今まさに飛ばそうとしている航空機に生じている「事故発生の前兆」を発見しなければならない。それは、「人的な作業の徹底」が行われたかについて考えることでもある。

 

多くの航空機事故は、機体や機器、エンジンのトラブルの前兆の発見ができていなかったことに起因している。しかもその多くが人的エラーであったことが、航空機事故後の専門的な「監察と対策」で示唆されている。

 

人的要因は、旧来尊重されてきたアナログへの信頼が希薄化し、デジタルの世界に依存することで増加している。「体験的な積み重ねに裏付けされた直感」や「光・色・臭い・動き・味・温度・音・触感・気配」などに対する敏感さは、いまや鈍さに変わり、信頼すらされなくなった。航空機ではないが、2017年12月11日に発生した東海道山陽新幹線「のぞみ34号」の台車ひび割れのトラブルはその典型である。

 

多民族・多人種・多言語・多宗教などの混在する米合衆国軍隊では、いち早く「デジタル化手順」が指令 ”Standard Order of Procedures:SOP ” 化された。手順化はデジタル化に共通して、「示されないことはやらない」習性が育ち、責任までが分散希薄化され、余計な気遣いが敬遠されるようになった。

 

チャップリン主演の映画『モダン・タイムス』(1936年)に見られる労働者個人が機械文明の奴隷になっていく米国発の「オートメ化」が、今日のコンピューター漬けになっている人々の姿と重ね合わせられる。「分業・分担」、そしてそれに伴う「責任の分散・転嫁」の文明は、コンピューター・システムによって出される指示に従って「ヒトがスイッチ・アクションを起こす」ことに共通している。エラーが生じた場合、「ヒトはコンピューターに責任転嫁」することに慣れて行く。

 

米国に誕生した「野球」における「投げる・守る・打つ・走る」などの分業が尊重される文化と同様に・・・それでも個人の技量が追求されるアナログの残滓が在るのだが、米軍において、別けても海兵隊においては、肉体的強靭性に加え、コンピューターの導入が「戦いに勝つか負けるか」、「1 or 0」というデジタル感性に集約された「軍種文化」が進化している。そこでは、日本人に備わったアナログの優れた感性の存在が希薄になっているのではないかと危惧するのである。

 

国を守る直接の任に就いている軍人、しかも将校がパイロットである理由も、厳しさに甘んじない特別の資質が個人に求められているからである。そのパイロットが技量の不足や不注意、あるいは指揮管理の不行き届きが原因で禁止飛行経路を飛行するのであれば、「国を守り、人を守る」職業人失格である。12月のふたつの事案(普天間第二小への米軍ヘリの窓枠落下と、緑ヶ丘保育園への米軍ヘリからとみられる部品落下)は、明らかに人的ミスが原因としてクローズアップされなくてはならない。(以下、【下】に続く)

 

 

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