沖縄で相次ぐ「米軍機事故」の責任を問う―事態局限に資する―【下】

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「守るべき人々を守る」施策を

 

筆者は、沖縄米海兵隊所属のCH53型ヘリコプターが短い期間に幾度も、民間人や施設に直接の被害を及ぼす可能性が高い「墜落」や「部品落下事故」を起こしていることに深刻な危惧を覚える。また、「不時着」と一辺倒に報道される飛行場外への「予防着陸」を発生させたことは、「人的エラー」が重なった「異常事態」であり、「高位指揮官の指揮・統率・管理の怠慢」だと指摘を断じたい。

 

空からの落下物が地上に及ぼす被害は、落下物そのものが「航空機黎明の時代において意図的に落下させる兵器であった」ことを顧みれば、実に重大事である。飛行の再開は、先に紹介した部隊レベルの点検・整備手順を厳正に見直し、現行の要領に重ねて安全確保を徹底し、かつ市民の納得を得て初めて実現すべきものである。1件の問題を解明しないまま、1週間後に同種の事故を発生させた「沖縄米海兵隊の人的過誤」の猛省を促したい。

 

他方、沖縄自治体の対応が「同じ抗議」、と「在沖縄米軍基地県外移転」を促す「出ていけ」コールの繰り返しパターンで米側の「事態改善」を促すことはできないだろう。このように考えるのは、過去、在沖縄米軍の事件が「沖縄県民の望む善処」に結びついた実績に乏しいという歓迎できない実績があるからである。

 

付言する。事件発生の度に、「謝罪」と「事案の真相が不明確なままの」原状復帰が繰り返されてきたのだが、米側では、日本の抗議を受けた場合、「謝罪の繰り返しで済む」、「事案発生防止の具体性のある詳細を求めてこない」という認識が定着しているのかもしれない。実効性が顕著な善処を求め、米側が真摯に対応せざるを得ない具体的要求を突きつけることにより、繰り返される「暖簾に腕押し」を打開しなければ進展が望めない。

 

それには、ともすれば「秘匿」を主張しがちな米側が日本に対して最大限の情報開示を行うように仕向けなければならない。これを実行するには、いくつかの事項に関する専門的知見が必要である。それは、本文脈に関わる事案に特化すれば、航空機諸元・飛行運用・補給整備・飛行場管理・関係要員の職能・天象気象・日米安保など防衛政策・軍隊の仕組みと軍種文化・軍事史・人の心理など多様多岐にわたる要素を総括して米側、あるいは日本政府のリアクションを引き出さなければならない課題である。

 

本来、航空機事故が起きれば、当該組織は、自ら事故要因の監察、対策指導を行って再発防止の具体策徹底を促すわけである。詳細にわたる情報の入手は困難であるが、不明な事項を明らかにさせることが沖縄県民の安心につながる。それには、防衛・安全保障上許容の限界まで、その流れを知り得る情報開示の提供を受けられる作業が必要になることは言うまでもない。当然、信頼に足る専門家集団が参加する諮問委員会と作業部会を設置すべきである。

 

加えて、日本政府が沖縄県の諸自治体とどのように調和した対米政策を進めるかが、この提案を助けることになるだろう。安倍晋三首相は、「日米安保」によってアメリカが実働し、それが日本の安全に寄与してくれる、と発信している。しかし、「守るべき人々を守らず、自ら傷つける行為を繰り返している」とさえ見て取れる事故連鎖が生じている現象は、首相の言葉の信用が揺らぐことになる。

 

沖縄県民の安全をないがしろにしている沖縄海兵隊の現状では、「トモダチ作戦」で醸成された信頼も損なわれるだけだろう。沖縄の人々が、「アメリカが助けてくれる」と信ずるに足るような日米両政府の誠意は、どのように示されるのだろうか。改めて、関わりある人々の責任を問うものである。(了)

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