既視感のある選挙だった。
最たるシーンは、渡具知陣営の演説だ。
「稲嶺市政2期8年で名護市は取り残された。閉塞感が漂っている」
「稲嶺市政」を「大田県政」、「名護市」を「沖縄県」に置き換えれば、そのまま20年前の知事選と重なるのではないか。
私見だが、1998年の知事選で自公が「閉塞感」というフレーズを用いる選挙戦を展開したのは、以下の言葉がヒントになったと思っている。
「わが町は呼吸困難な状況に陥っている。このまま放置するのか」
96年6月。元外務官僚の岡本行夫氏と会食した嘉手納町の宮城篤実町長が、町面積の83%を占める米軍基地によってもたらされる地元の窮状をこう訴えた。
それ以降、「沖縄米軍基地所在市町村に関する懇談会」(通称・島田懇談会)の会合などで「閉塞感の打破」という言葉が自治体関係者や同懇談会委員らによって繰り返し唱えられた。これは説明するまでもなく、沖縄の米軍基地の整理・縮小が進まないことによる自治の弊害について、基地所在市町村から政府への異議申し立てという意味合いで用いられたものだ。
にもかかわらず、「呼吸困難」や「閉塞感」という言葉を、「『辺野古』をめぐって政府と対峙する大田県政によって導き出された閉塞感」という真逆の意味にすり替えられたのが98年の知事選だった。
今回の名護市長選でも、「閉塞感」は真逆の意味で使われ、住民に一定程度浸透したように思われる。こんな出鱈目は最後にしてもらいたい。
今の沖縄を覆うのは、民意が政治に反映されないことによって生じる「閉塞感」ではないのか。民意とはもちろん、沖縄県民が繰り返し選挙で示した「辺野古新基地建設反対」の意思だ。「閉塞感」を醸す張本人は、民意を切り捨てて辺野古強行に走る政府だろう。
地元の政治リーダーが「辺野古」を容認すれば、政府との軋轢は解消するかもしれない。だが、沖縄県民の「閉塞感」はそれで払拭されるだろうか。