逆説に傾く寄る辺なき民意

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「滑稽で屈辱的」な「日」の危うさ

 

日本の「平和主義」のメッキが剥がれつつある実情も、南西諸島からはよく見える。

『琉球新報』313日付コラム「落ち穂」で奄美郷土研究会会員の折田馨氏は、「江戸期の奄美を見るものは、その『薩・琉・奄』の関係が、現代の『米・日・沖』の関係とパラレルな構図であることに気づく」とけい眼を向ける。「薩摩に服属する琉球、割譲された奄美という状況」だった江戸期。そのまま時間軸を現代にずらせば、現代の「日」の立ち位置が浮かび上がる。

「上から目線で沖縄の苦難を論じる前に、本土の人々も知らなくてはならない。自身の滑稽で屈辱的な現実を、今は本土が占領下の沖縄に『復帰』しつつあるのだということを」

「滑稽で屈辱的」な「日」の危うさに自覚的な本土住民は今、どれくらいいるだろうか。

「辺野古」に目を奪われている間に、沖縄の軍事拠点化は着実に進む。北の奄美、南の先島地方は、沖縄本島とは別の歴史や世論も存在するが、政府の防衛政策は一体的に進んでいる。

311日投開票の石垣市長選は陸上自衛隊ミサイル部隊配備の是非が争点になった。

「そもそも、こんな小さな島にミサイル基地を造り中国軍と対峙するというのか。抑止力がいつのまにか戦争力となり戦争勃発になった例は多々ある」(大田静男氏)、「有事の際、住民の避難や救難について、これに最優先で取り組むという自衛隊の法律も存在していないのだ」(内原英聡氏)

陸自配備を事実上容認する現職の勝利という石垣市長選の結果を見る限り、国家の論理に抗うこうした警鐘(いずれも『月刊やいま』3月号、南山舎)は地域に浸透しなかった。

前出・佐藤教授の論にウチアタイする。

「個人として猛省するのは、危機感を伝える努力が、全く機能していない状況である。新聞の政治面、文化面の議論が、どこにも届いていない」

隣国への誹謗中傷がネットにあふれ、戦争に備えることが「現実的」とされつつあるこの国で、戦争への危機感を唱えるのはもはやリアリティーを欠くのだろうか。

逆説的な感情を育む構造を解き明かす必要がある。

【本稿は41日付毎日新聞「沖縄論壇時評」を加筆修正しました】

 

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