「自立的外交」に込めた気概
日本遺族会の会長でもあった橋本だが、歴史修正主義や敵対的なナショナリズムには、きわめて慎重であった。一方で政策通として鳴らし、けばけばしいキャッチフレーズを好まない橋本であったが、その数少ない例外が、政権発足時に重要課題として掲げた「自立的外交」というフレーズであった。橋本が秘めたナショナリズムは、この「自立」という言葉に集約されるように思われる。
通産相時代に熾烈な日米貿易摩擦の陣頭指揮を執っていた橋本が、首相として「自立的外交」を掲げたことに、米クリントン政権には警戒感もあったようである。
橋本自身は回顧録で「自立的外交」について、「日米安全保障条約体制は、私はこれからも日本の外交の機軸であるべきだと思っていますし、またそうでなければいけません。しかしそのうえで・・・」と口にしたところで話題を転じて、それ以上踏みこまない。しかし要点は、その前段で橋本が述べた「自分なりの判断と発想で行動しなければならない」ということなのであろう(五百旗頭真・宮城大蔵編『橋本龍太郎外交回顧録』〔岩波書店、2013年〕61頁)。
日米関係に波風を立たせまいとすることが自己目的化し、米政府、あるいは米側の一部の主張と利害を唯々諾々と丸呑みし、従うことが「対米協調」ではないはずだ。そのような橋本の発想は、外務省高官の「橋本総理には「(外務省)北米局をつぶすぞ。防衛庁と一緒にするぞ」とよく言われました。外務省が対米追随に走りがちだという印象をもっておられたようです」(田中均・外務省北米局審議官〔当時〕、前掲書、167頁)といった証言からも見て取れる。
こうしてみれば、「取り返したぞ、普天間を」という橋本の発言は、普段の慇懃さとは一線を画した、感情を抑えきれない「肉声」であったのであろう。そして、「取り返したぞ」に言葉を補えば、「アメリカから取り返したぞ」となるのだろう。
佐藤が果たせなかった沖縄の基地負担という一大課題を、自分の手で大きく動かす。それは首相としての歴史への責務であり、また「反米」とは異なる「自立」としてのナショナリズムのまっとうな形での発露である。それが橋本の心情ではなかったか。そのことは、国民統合と歴史への責務という点において、沖縄基地問題が本来は、「保守」にとっての課題であることを示している。