新たな「共通敵」
こうした本土の認識を考慮し、沖縄の今後を展望するとき、悲観的にならざるを得ない。朝鮮半島情勢が歴史的な転換点を迎える中、日本は東アジアの平和構築に向けて何ら主体的な役割を果たせていないのが実情ではないか。
「我が国をめぐる安全保障情勢は厳しさを増している」との見解を強調し、「日米同盟の強化」を繰り返し唱える。日米首脳会談のたびに「辺野古新基地建設の推進」を約束し、沖縄を米国に差し出すことで米軍をつなぎ留めておくことができると信じたい。これが、近年の日本政府の安全保障政策の肝であり、全てといってもよいのではないか。
国際情勢が変化すれば、沖縄の基地も固定化されるものではないのは自明のはずだが、日本の政治も主要メディアも研究者の多くも、「目先の脅威」に対抗する手段として、沖縄の基地集中を既定戦略と捉えているのが実情だ。現代史を丹念に検証する本書が終章に至って、日本の針路について「大胆な見取り図を提起する」ことに果敢に挑んでいるのは、こうした思考停止状態からの覚醒を促す狙いもあるように感じられる。
著者は、北朝鮮や中国の脅威とはいかなるものであるかを掘り下げて検討しておくことは沖縄の今後を展望する上で「不可欠の作業」との認識を打ち出し、新たな「共通敵」の設定が必要だと唱える。共通敵とは「際限なき軍備拡張であり緊張の激化」である。
「軍拡と緊張の激化はたがいに作用し連鎖しあって、情勢のさらなる悪化を招く」「北東アジアや東アジアの緊張が激化すれば、『軍事の要石』である沖縄が最前線に位置付けられ、場合によってはふたたび戦場と化すことになる」
こうした著者の危機感を率直に共有できる層は、今の日本にどれくらいいるだろうか。戦後日本が掲げてきた基本政策の三本柱のうち「戦争放棄」が揺らぐ中、沖縄は再び「捨て石」にされるリスクにさらされている。その加害の当事者は、本土の「私たち」である。
「日本の中の沖縄の位置づけ」と「日米関係」を問い直す本書が、日本の安全保障政策の新たな視座を提示するのは必然といえる。
【本稿は「パブリッシャーズ・レビュー」(6月15日号)の書評コラムを加筆修正しました】