【書評】古関彰一、豊下楢彦著『沖縄 憲法なき戦後』(みすず書房)を読む

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日本社会の「沖縄観」

 

沖縄を知れば、日本の「自画像」が浮かぶ。本書は沖縄を切り口に、日本という国の在り方と行く末を問うている。

「軍事要塞としての沖縄」が措定されていく戦後の過程で、重要な役割を果たしたのは昭和天皇とマッカーサーである。

太平洋戦争末期、連合国側との和平交渉に移る前に「もう一度戦果を挙げてから」という昭和天皇の情勢認識に基づき、沖縄は「戦果」が問われる決戦場になった。沖縄戦の悲劇と戦後の沖縄の処遇を念頭に、著者はこう指摘する。

「昭和天皇にとって沖縄は、本土を守るために『戦果』を挙げる必要がある場合には、“徹底抗戦”を求められ、和平の場合には連合国側に“差し出される”存在になるという、いずれにおいても、文字通りの“捨て石”であった」

昭和天皇の姿勢が戦後も一貫していたことは、「沖縄メッセージ」によって浮き彫りになる。同メッセージで昭和天皇が「沖縄の主権を日本に残す」ことに固執したのは、「本土の安全」を確保する上で好都合だったからだ。潜在的な主権であれなんであれ、「主権」によって日本が沖縄と繋がっていれば、「沖縄の米軍が日本防衛と関わりをもつことになる」という、本土にとっての利点である。

著者が重ねて指摘するように、やはりここでも根底に「沖縄は本土のために常に犠牲になることが運命づけられた “捨て石”」であることを是認する意識がうかがえるのだ。

もちろん、占領者として君臨した米国=マッカーサーの意向抜きには、象徴天皇制・戦争放棄・沖縄の要塞化という「三本柱」が戦後日本の基本政策に据えられることはなかった。ただこの三本柱が、現在に至るまで本土の幅広い層の支持を得てきた現実を踏まえれば、「昭和天皇にとっての沖縄」は日本の統治機構だけでなく、日本社会一般の「沖縄観」を映す鏡といえるのではないか。

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