戦争体験の図式の固定化
戦争を「動」と「静」に分けるならば、沖縄の地上戦は「動」だ。戦争が行われていることが説明抜きに目で見てはっきり分かる。これに対して「静」とは、戦争が引き起こす社会の混乱が飢えやマラリアなどの疫病、教育の欠乏などをもたらす状態に相当する。えてして、説明抜きでは理解することが難しい。たとえば、ガリガリに痩せた子どもの写真1枚だけ見ても、背景が分からなければ、それが戦争によるものかは判然としない。台湾引き揚げも「静」に属する。
そもそも、凄惨な地上戦やそれに続く米軍統治、現在の米軍基地問題と向き合っている沖縄のメディア(より正確には沖縄本島のメディア)は、どうしても「動」への取材を優先することになる。ところが、この夏は「静」のほうがフォーカスされているのだから、どんな新事実が掘り起こされるのか期待も膨らもうというものである。
ただ、これまでまとまった形で台湾引き揚げに目配りしてこなかったため、意図せざる結果として「沖縄の戦争体験≒地上戦の体験」という図式を固定化させてしまったといえるのではないか。台湾から命からがら引き揚げてきた人が「地上戦のような体験はしていないから」と証言をためらったり、沖縄本島の人たちが「台湾はあまり攻撃を受けなかったから、戦争被害はそれほどでもない」という思い込み見解を語ったりするのは、この固定化と関係があるだろう。
筆者が台湾引き揚げに関心を持ったのは1995年である。勤務先の新聞社で戦後50年の連載企画を担当することになり、1945年に生まれた人たちの、その生まれたときの様子を取材しようと試みたところ、疎開先の台湾で生まれたという人と出会ったのがきっかけだ。
疎開?台湾へ?
調べてみると、石垣市が1980年代に発刊した市民の戦争体験証言集で、すでに台湾への出稼ぎや疎開の体験が収録されていた。八重山は、台湾へ向かっていた疎開船が銃撃されて尖閣諸島に漂着した尖閣列島遭難事件を経験してもいる。台湾への渡航やその引き揚げに関する情報に比較的アクセスしやすい環境にあるといえる。
しかしそれでも、台湾疎開の取材を続けていくうちに、八重山の戦争体験にも、固定化された図式らしきものがあることが分かってきた。