遺志は継がれるか~急逝した沖縄知事の覚悟

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「保守」と「革新」のはざま

 

沖縄で「革新」と言えば、「基地のない島」という理想を掲げ、日本の安全保障に沖縄の米軍基地は不可欠だとする日本政府に厳しく臨む立場です。一方で「保守」は日本政府の主張をある程度認めつつ協力し、基地負担軽減や振興を進めようとする立場です。

かつて自民党沖縄県連で幹事長を務めた翁長氏は「保守」の位置にいたと言えますが、それが晩年には「革新」のような振る舞いになります。翁長氏の芯はどこにあり、それは変化しているのか。いつも悩ましいテーマでした。

沖縄の政治や日本政府との関係を考える時、いろんなものが見えてくるのは知事選と、そこで常に問われる米軍基地問題です。ここを軸に考えてみます。

私が翁長氏に初めて接したのは2010年の知事選でした。那覇市長で元自民党県連幹事長、そして再選を目指す保守系の仲井真弘多知事を支える選挙対策本部長でした。

知事選の争点は今と変わらず、宜野湾市の米軍普天間飛行場の移設問題でした。仲井真氏は日米両政府が合意した名護市辺野古への「県内」移設を条件つきで認めていましたが、翁長氏の求めで「県外」へと方針転換しました。

革新系の候補が「県外」を訴えていたので、これで普天間移設問題は争点としては薄れ、仲井真氏は再選を果たしました。私は当時、「翁長氏は名参謀だったけれど自身も『保守』のはずだし、今後の仲井真県政と日本政府の関係をどう考えているんだろう」と思ったものです。

「県外移設」訴え知事選に

 

ただ、仲井真氏は知事2期目のうちにまた「県内」へと傾き、翁長氏との関係が徐々に悪化します。前回の2014年の知事選で、翁長氏は革新勢力を中心とする「オール沖縄」という立場で立候補し、仲井真氏を破って初当選。県民への公約として、辺野古移設を進める日本政府に「県外」を求め続け、今に至るわけです。

私は2011年に東京勤務に戻った後、沖縄に関わる日本政府の人たちに会うと「翁長評」を聞いてみました。元は「保守」と思われているだけに大方の反応は複雑で、疑心暗鬼でした。辺野古移設に長年携わる防衛省幹部は、「オール沖縄というのは目くらましだ。より強硬な立ち位置から基地問題や振興でこちらの尻をたたく戦術だろう。したたかな男だ」と語っていました。

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