「幕引き」の難しさ
選挙中に安倍首相本人がしばしば口にしたように、安倍氏にとってはこれが最後の総裁選挙であり、長きに及んだ第二次安倍政権も集大成、あるいは「有終の美」を飾ることを意図せざるを得ない。とはいえ、政権の幕引きとは容易ならざる課題である。
政権の幕引きという観点から戦後政治史を見てみれば、日ソ国交回復を機に退陣した鳩山一郎、沖縄返還を実現した佐藤栄作などは「花道型」だといえようか。日ソ国交回復も沖縄返還も日本政治史に残る事跡であり、花道たるに十分であった。
一方で中曽根康弘は、1986年の衆参同日選挙で大勝して特例扱いで自民党総裁任期が1年延長され、竹下登、安倍晋太郎、宮澤喜一の中から竹下を後継指名して退陣した。また小泉純一郎は2005年に郵政解散で大勝したが、総裁の任期延長を繰り返し否定して退任し、後継者として遇していた安倍晋三が政権を継いだ。
トップリーダーの仕事の半分は後継者育成だと言われるが、その点、中曽根は「安竹宮」(安倍、竹下、宮澤)の「ニューリーダー」を要職に配して競わせ、小泉もある時点から安倍を幹事長などに抜擢して育成を試みた。いずれも余力を残して退陣したことで後継指名が可能になった。
とはいえ、これらの首相は「きれいな幕引き」を果たした例外であり、ほとんどの首相は選挙での敗北や党内の権力闘争などで無念の退陣を強いられた。一方で細川護煕、福田康夫といった「投げ出し」型も散見される。
安倍政権に「花道」はあるのか
振り返って見れば、安倍首相も第一次政権を体調不良で退陣した際には、「投げ出し型」と見なされた。その汚名を注がねばという執念が、第二安倍政権での行き過ぎとも見える権力行使の背後にあるのだろうか。また、強固な政権基盤を生かして困難な課題に取り組むというのが本来の道筋に思えるが、政権維持を優先して難題を避ける傾向も、この政権の特徴である。言い換えれば、政権の持続が自己目的化しているのだが、それも力みすぎた第一次政権の教訓なのであろうか。
もちろん小泉以降の各政権が第一次安倍政権を含めて短命だったことに鑑みれば、第二次安倍政権が安定していることそれ自体を評価すべきという観点もあるだろう。とはいえその結果として、第二次安倍政権は6年以上に及ぶ長期政権でありながら、具体的な成果に乏しいままである。
それを意識すればこそ、安倍首相はたとえば日露交渉に前のめりなのであろう。だが、プーチン大統領と会談を重ね、その場その場での「やっている感じ」が当面の支持率にはプラスにはなっても、領土問題の解決は一向に見えて来ない。
このまま政権の幕引きとなり、「アベノミクス」「一億総活躍」など、「やっている感じ」だけで時間を費やした空疎な政権という評価が下るのは、安倍首相にとって本意ではあるまい。それを一発逆転するのが憲法改正なのだろうが、現実問題として困難なのは安倍氏本人がよく分かっていて、もっぱら求心力維持のためと見える。集大成を前に、究極の「やっている感じ」といえようか。