新時代沖縄 YES WE CAN OKINAWA

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新時代沖縄ムーブメント

 

2018年9月13日は、沖縄県知事選告示日だった。何の因果か、その日は私の誕生日と重なっていた。アメリカから、会いたいと強く願っていた沖縄の仲間たちに、自分の誕生日を祝ってもらえたことは、本当に嬉しかった。しかし、知事選挙は後半戦になるにつれ、精神的、肉体的な疲労が、私を含め玉城デニー若者応援チームに襲いかかった。

選挙運動に初めて参加するメンバーが多い中、また両陣営の票読みもままならない中、自民党と公明党が組織するジン(金)も権力も人も無限に使えるような選挙運動に対抗することは、異常なほどのポジティブな思考回路と、最後まで諦めない強い精神力が必要不可欠だった。

玉城デニー氏が知事候補となってからネット対策チームに所属する若者たちは、玉城デニー陣営へのデマやヘイトに対処しながら、玉城氏の政策を「ポジキャン」と題し、ポジティブさを全面的に宣伝し続けた。しかしそんな中、若者チームの一人が、選挙中に行われた若者主催の選挙イベント後、私にこう発言した。

「こんなに頑張ってみんなで選挙活動しても、結局デニーさんに対するデマやヘイトは増え続けるのをみると、また名護市長選挙と同じ結果になると思う。だから、私は選挙が終わる前に、もう腹を括ったよ」

つまり、このメンバーはもうすでに玉城氏が落選すると思ってしまっていたのだった。私は反論することなくこう答えた。

「どんな結果であれ、私は9月30日に沖縄県民が出した結果を受け止める。そして最後までウチナーンチュを信じる。Never give up!」

もちろんどんな選挙結果になるのかわからない、しかし諦めず最後まで若者たちは自らがしたい選挙活動スタイルで、全力で玉城氏を支援した。

彼らは最後の投票日まで、『今度は絶対デニーだよ!デニーにいれてよ(投票してよ)!』と、それぞれのネットワークから声を上げ続けた。このような彼らの粘り強さと、玉城氏を当選させたいと思う強さがあったからこそ、玉城デニー知事が誕生したし、戦後の沖縄の象徴的な存在である沖縄とアメリカにルーツをもつ彼が、辺野古新基地建設反対を、一番の公約に掲げて知事に当選したことは、戦後沖縄史の歴史的な瞬間と言っても過言ではないと思う。

「ウチナーンチュが心を一つにした時、お前が想像する以上のことが起こる」

翁長知事がご自身の息子さんにこう述べていた通り、ウチナーンチュが心を一つに団結し行動する時、この島は誰もが予想出来ないミラクル(奇跡)を起こすことが可能である、その最大要因は沖縄の人々が先祖から受け継いだ、互いを思い助け合う深い心である。今回の知事選挙を通して、多くの沖縄の人々の沖縄に対する思いを再認識させて頂いた。県民の皆様、いっぺーにふぇーでーびたん(ありがとうございました)。ウチナーンチュ、まきてぃ、ないびらんど!(負けてはなりませんよ)

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