沖縄のちむぐくる運動の源
最終的に沖縄への帰国を早め、今回の知事選挙に関わった重大な理由は別にもある。それは、自らの命をかけて沖縄を守り抜き、不平等な沖縄の立場を日本に世界に訴え続けながら、また一方で、沖縄が沖縄らしく発展する可能性を最後まで県民に問いかけた故翁長知事の偉大さを感じ、今こそ自分たちで立ち上がり、常日頃から感じていた沖縄の問題、特に基地問題に関して、声を上げなければならないと思っている年齢も学歴も家族構成も違う、様々なバックグランドをもった若者たちが、翁長氏の死去後、自然と結集し始めたからだ。
基地問題を常日頃から考えている若者たちを、意識が高いとか、学歴エリートだとよく表現されているが、翁長知事の意思を受け継ぎ、辺野古新基地反対を明確に示した玉城氏を支持した若者たちは、すでに彼らの中に「基地問題は日本の安全保障の問題」という以前に、沖縄の人びと、つまり自らの人権問題だと、これまで起きた米軍の事件、事故を通して、蔑ろにされる沖縄の人権の現状を認識することが出来ていた。彼らが持つこの危機感は誰かに教えられたものではなく、人間が本来もっている危機意識のような、または動物が本能的に持っている生命危機を認識する力、つまり翁長知事が言っていた「魂の飢餓感」にも共通するウチナーンチュが持っている虐げられる自らの命や権利を尊び守り抜く意識だと私は認識している。
つまり、玉城氏を応援した若者メンバーが感じたのは、沖縄の人権問題(基地問題)を通して見えてくる現在の日本の民主主義の在り方だったのではないか。例えば、翁長知事が日本本土に問いかけたように、「なぜ沖縄だけが、過重な基地負担を負わされなければいけないのか?」、「なぜ辺野古新基地に対す問題を、日本全体が抱える深刻な問題として、日本全体で当事者性を持って考えることが出来ないのか?」、そしてそれ以上に感じているのは、「何度も沖縄の選挙で、辺野古新基地建設に対する反対の民意が示されたのにも関わらず、民主主義国家である日本が、沖縄の民意を無視し、辺野古に新しい基地をつくることで、自らの民主主義を蔑ろにしているのではないか?」ということだ。
誰に言われたわけでもなく、玉城デニー氏陣営の若者たちは、日本の「民主主義国家」の枠の中で、沖縄の人びとの辺野古新基地建設反対の民意が日本政府に反映されない現状を見て、自然と現在の日本の民主主義の在り方に疑問を持ち始めていた。このような危機意識を持っていた若者たちが、翁長知事の死去後、自らのネットワークを通して知り合い、幾つかの話し合いをもち、沖縄の人びとの人権が蔑ろにされている問題、それは日本の民主主義が蔑ろにされている問題であるということを、今後も日本政府、本土、そしてアメリカに問うことが出来る新しい沖縄のリーダーを考えた時、玉城氏のバックグランドとこれまでの発言を踏まえて、彼を知事候補者として選ぶべきだと考えた。
そしてそれ以上に、玉城氏の「誰一人もとり残さない社会」、「沖縄らしいやさしい社会」という選挙スローガンは、米軍基地被害によって引き起こされる人権問題を世界に訴えるだけでなく、沖縄の「ちむぐくる」の精神(他人の心の痛みを己の心の痛みとして感じる心)を、世界に発信できる故翁長知事同様、世界に誇れるウチナーンチュの一人であるということが、彼を県知事候補に選ぶべきだと考えたもう一つの理由である。
玉城氏を知事候補者にすべきだという若者たちは、最終的に推薦状を作成し、知事候補者として玉城氏を検討してもらうよう調整会議に要請した。ジン(金)も権力もない、それでも沖縄を変えたい、自らが率先して変えるべきだという強い思いと、実行力溢れる、そんな彼らをみていると、2008年のアメリカ留学中に出会ったオバマ大統領支援者だった多くのアメリカ人学生たちの姿と重なって見えた。
「玉城デニーを知事にしたいと思っている彼らに会いたい。そして彼らと共に玉城デニーを県知事に押し上げて、辺野古の海を守り、平和で豊かな沖縄を実現したい」
これが、私が沖縄に帰国し選挙活動に参加した一番の理由である。