自民党副総裁や幹事長などを歴任する一方、「国防族のドン」として自民党政権の安全保障政策の中枢を担ってきた山崎拓氏。その山崎氏はいま、沖縄をめぐる状況を深く憂えているという。どのような心情なのだろうか。山崎氏に話をうかがった。
(2018年12月5日。聞き手:宮城大蔵)
国政復帰選挙(1970年)と重なる情景
-山崎先生は沖縄と深い関わりをお持ちとのことですが、昨今の状況をどのようにご覧になりますか。
山崎 私が国会に初当選したのは1972年ですが、沖縄返還の年でもあります。沖縄の本土復帰に先だって、沖縄国政復帰選挙というのがありました。1970年です。そのときの選挙と、今の状況が重ねって見えるのです。
-半世紀近く前の選挙ですね。
山崎 1970年の選挙は、沖縄の国政復帰がすでに決まっていて、そのためにいろいろな法整備が必要なので、沖縄からも国会議員を選ぼうという選挙でした。私の高校(福岡県立修猷館高校)時代の柔道部の親友が沖縄出身で弁護士になっていて。私は当時、国政選挙に当選できずに浪人中でしたが、彼の手配でその選挙の視察に行ったのです。
-どんな様子でしたか。
山崎 全候補者が「ヤマトンチュー何するものぞ」という表現を使うわけですよ。それは西銘順治(自民党。後に県知事)も上原康助(社会党)も、それから国場幸昌(自民党)、瀬長亀次郎(沖縄人民党)、それに安里積千代(沖縄社会大衆党)。そうそうたる顔ぶれでしたが、その中でも安里さんは演説が上手かったですね。
その全部の候補者が、「ヤマトンチュー何するものぞ」という表現を使ったんですよ。まだ沖縄復帰が実現する前で、行くのにパスポートが必要でした。沖縄ドルが流通していて。
その時に「ヤマントチューなにするものぞ」という表現によって、沖縄県民の心情というのを初めて知ったわけです。歴史的にヤマトンチューから繰り返し「処分」を受けてきたということに対する反発。その意味では今の辺野古問題も、累次の琉球処分の延長線上にあるわけです。
昨年秋の沖縄県知事選で玉城デニーさんが当選しましたが、あの結果を見ると「ヤマトンチュー、何するものぞ」という琉球の魂が選挙の結果を左右したと思うのです。自民党は国会議員を大量動員して、莫大な資金も投下した。旅費だけでも相当なものです。それから公明党も。だけれども功は奏さなかった。逆に玉城側の票が増える結果になったわけですから。あれはウチナーンチュのヤマトンチューに対する抵抗精神だと思うのです。そうでないと、説明がつかないことです。