「SACOの亡霊」にとらわれている
県民投票後も、安倍首相ら政権幹部は「普天間の危険性除去のため辺野古移設を進める」と繰り返すばかり。
「沖縄では、次の犠牲者は自分や家族かもしれないという不安と恐怖がすぐフェンス越しに存在します。普天間を辺野古に移すことは、『危なさの平行移動』でしかないので多くの人が納得しないんです」
玉城知事は言う。
「安倍首相は直ちに工事を停止して沖縄と話をするべきだ。政府は『辺野古』に固執する思考停止状態から、もういい加減解放されたほうがいい」
その上で、日米両政府がかつて設置した協議機関「SACO(沖縄に関する特別行動委員会)」に代わる新たな協議機関が必要だと指摘する。
SACOは「Special Action Committee on Okinawa」の略。95年に起きた米海兵隊員らによる少女暴行事件を受けて沖縄で反基地感情が高まる中、基地縮小について話し合うために日米両政府が設置した。96年の最終報告で、普天間飛行場をはじめとする11施設・区域の全部または一部を返還することが盛り込まれた。
ただ、大半が沖縄県内への移設・統合を前提としており、普天間返還以外も進展が遅れているのが実情だ。玉城知事は、県民投票で示された沖縄の民意や世界情勢の変化を踏まえ、日米両政府に沖縄を加えた形で、沖縄の米軍基地の縮小をテーマに協議し直すテーブルの設置を求めるという。
「SACOに代わる新しい協議機関の名称は『SACO With Okinawa』、略して『SACWO(サコワ)』にしてもらうよう提言します。『沖縄と一緒に』を加えることで、サコをサコワにしてもらいたい」
玉城知事が描くのは、沖縄の日本復帰を控えた69年に設置、開催された「京都会議」のイメージだ。日米と沖縄の有識者らで構成し、沖縄の日本復帰のあり方について議論した。
日本側からは大学教授や自衛隊幹部ら。沖縄からも当時、復帰運動の牽引役を担っていた沖縄教職員会の喜屋武真栄会長らが参加した。実行委員長は沖縄県石垣市出身で早稲田大学総長を務めた大濱信泉(のぶもと)氏が務めていた。
玉城知事は沖縄を巡る現在の政府の対応を「SACOの亡霊にとらわれている」と指摘する。
「SACOのくびきから放たれるためには、新しい協議機関を設置して、辺野古移設の見直しを含む話し合いをするべきだと思います。県民投票で民意が示された今は、その絶好のタイミングです」