県民投票の結果を国民的議論につなげる

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県民投票が問うもの

 

県民投票後、新聞の社説等では、「政府はただちに埋め立てをやめ、沖縄県と真摯に解決策を話し合うべきだ」というだけでなく、「ボールが投げられているのは本土だ」、「問われているのは日本の民主主義だ」、「すべての国民が真剣に考えねばならない」というように、政府だけではなく、本土に住む一人ひとりの責任を問う議論も出てくるようになってきた。

しかし、辺野古の埋め立て工事は強行され続けている。では、県民投票を受け、本土の人たち一人ひとりが具体的に何をすべきか、何ができるのか、という議論は残念ながら深まっているとはいえない。
しかし県民投票が問うているものは、いたってシンプルだ。

「辺野古が唯一」を瓦解させるためには、この問題の本質が「本土の理解が得られない」という不合理な区分(=差別)との理解を深め、代替地の選定ではなく、代替案という「認識」・「環境」の問題として提起することが必要だ。「認識」とは日米元政府高官・首相も発言している「軍事的に沖縄でなくてもいい」ということ。「環境」とは県外・国外という柔軟な代替案の議論ができる状態をいう。

つまり、「辺野古新基地を中止し、普天間基地の県外・国外移転についての国民的議論による決断を行うこと」だ。

 

新しい提案に基づく全国1788議会への陳情

 

この議論を全国で加速させるため、県民投票の一ヵ月後である2019年3月25日、私が責任者を務める「新しい提案」実行委員会で、以下の意見書採択を求める陳情を、全国1788の市区町村及び都道府県議会に行った。

1.辺野古新基地建設工事を直ちに中止し、普天間基地を運用停止にすること。
2.全国の市民が、責任を持って、米軍基地が必要か否か、普天間基地の代替施設が日本国内に必要か否か当事者意識を持った国民的議論を行うこと。
3.国民的議論において普天間基地の代替施設が国内に必要だという結論になるのなら、沖縄の歴史及び米軍基地の偏在に鑑み、沖縄以外の全国のすべての自治体を等しく候補地とし、民主主義及び憲法の規定に基づき、一地域への一方的な押付けとならないよう、公正で民主的な手続きにより解決すること。
を議会において採択し、その旨の意見書を、地方自治法第99条の規定により、国及び衆議院・参議院に提出されたい。

この提案のなかの国民的議論について、「ではどうやって行うのか」という質問を受けることがある。国民投票で普天間基地の県外か国外移転を決定することができればいいが、日本では憲法改正のための国民投票が認められているだけで、スイスのような住民発議での国民投票の実施は認められていない。

しかし、現行制度の下でもできることはある。地方自治法第99条は「普通地方公共団体の議会は、当該普通地方公共団体の公益に関する事件につき意見書を国会又は関係行政庁に提出することができる。」と定める。つまり、複数の争点などから人を選ぶ選挙とは違い、普天間・辺野古の問題をシングル・イシューで全国の地方議会に問うことで、国民投票類似の状況をつくることが可能なのだ。もちろん地方議会で意見書を採択したとしても法的拘束力はない。最終的には国民の代表たる国会で決定することになるだろうが、そのためにも多くの地方議会から国会及び政府に意見書が上がってくることが重要なのだ。

私が司法書士になった2002年当時、多重債務問題は深刻な社会問題となっていた。また「借りた方が悪い」という自己責任論が蔓延していたが、この問題の本質は利息制限法という民事上の上限利率と出資法という刑罰を課す上限利率の間にグレーゾーンが生じていたことにより、「高金利で借りることを強制されている(借主の自由(自己決定)が奪われている)」という構造的な問題であるとして、法改正を求める意見書を採択するよう地方議会への陳情運動が始まった。当時消費者金融は莫大な利益を上げ、自民党にも多くの政治献金を行っており、法改正など不可能というのが一般的な認識だった。

しかし、全国の地方議会に陳情や請願が相次ぎ、次々と意見書が採択されて、国民の声が高まり、2006年12月、最終的に自民党も含めた満場一致で貸金業法が改正された。
私にはその成功体験がある。

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