ナショナリズム 沖縄の保守【下】~「復帰っ子」の模索 

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「日本の保守」のいま

 自民党は小渕が急逝した2000年以降も「日本の保守」を自任してきた。だが、国場さんが初当選した2012年の衆院選で生まれた、今の安倍政権はどうなのか。

 普天間飛行場の県内移設をめぐり、国場さんに踏み絵を迫った。県民投票の結果を顧みず辺野古沖で埋め立て工事を進めている。

 そうした自民党政権の姿勢に「保守の寛容」は感じられない。中国の海洋進出や北朝鮮の核・ミサイルを理由にして、戦後日本に生まれた新たな「国体」としての日米安保体制への依存を、在日米軍基地が集中する沖縄を要(かなめ)として強めるばかりだ。

安倍政権は衆院選で3連勝、国場さんも当選3回となり、今は自民党国防部会長代理を務める。辺野古移設の先頭に立つ防衛省と連携する「国防族」だ。

 県外移設は諦めたのですか、と聞くと、「段階的に県外というのは変わりませんが、国際環境の変化もありますし……」と口が重い。

 県内移設を進める政権与党にあり続ければ、振興策で政府と連携してきた「沖縄の保守」を取り巻く現実にも絡めとられる。

 国場さんが責任者である自民党支部に対し、2017年衆院選の際に20万円を献金した県内の中堅建設会社があった。その会社は、普天間移設関連工事を防衛省から受注していた。14年衆院選の時も、県内の別の中堅建設会社との間で似たことがあった。

 政府と契約する業者から国政選挙に関する寄付を受けることは、公職選挙法で禁じられている。

 国場さんは「沖縄の経済を支える中小企業とのつきあいは広いんです。今回の2社が政府と契約していたとは知らなかったが、誤解を招くので献金は返しました。李下に冠を正さずで、特に選挙中は気をつけたい」と話す。

 かつて県外移設を唱えていた立場からすれば、いかにも印象の悪い出来事だ。

自民党政権が米軍基地負担の代償として振興策を積み重ねるなかで、沖縄の建設業界は自民党の国会議員に「国とのパイプ役」を望むようになった。復帰から半世紀近くかけて生まれた「沖縄の保守」をめぐるそんな構図が、この献金問題に垣間見える。

 だが、国場さんがその深みにはまるなら、沖縄全体の将来を「復帰っ子」に託す人々の期待から遠ざかることになるだろう。

沖縄から日本の政治を考える

 国場さんの祖父が土台を築いた「沖縄の保守」は、翁長の晩年に象徴されるように揺らいでいる。歴代最長政権を享受しようかという安倍政権の下、沖縄への寛容さを失った「日本の保守」との間で、国場さんは「国益と県益の重なり」をどう見いだそうというのか。

 自身への叱咤か、政権への異議か、国場さんは静かに語った。

「戦後日本の成功は、安全保障を米国に頼り、経済を重視した吉田茂首相の吉田ドクトリンによると言われます。でもそれは、日本から切り離された沖縄の米軍基地によるところが大きい。沖縄復帰後の日本には、いまだに新しいドクトリンがありません」

「日本の中に沖縄があり、沖縄の中に日本がある。今もなお在日米軍基地が集中しているので本土からは見えにくいけれど、日本の政治を、沖縄から考えないといけないんです」

※藤田さんは朝日新聞社の論考サイト「論座」で、連載「ナショナリズム 日本とは何か」を2019年4月から毎週木曜に掲載しています。この記事は、その「沖縄編」から7月18日と25日の分をまとめたものです 。

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