敗戦を忘却する「本土」の視座 ~日米安保と東アジア

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米国と一体化した眼差し

『沖縄と核』は59年、核弾頭搭載ミサイルが那覇市沖に誤射された事実を裏付ける貴重な取材記録だ。この中で、60年の日米安保条約改定によって米軍が「日本本土を非核化」する一方、「沖縄の核基地化」を決定づける過程も明示している。

日本側は当初、沖縄を条約適用地域に含めることをもくろんだ。しかし安保条約を改定し、核持ち込みに際して事前協議制度を新設する段になって、これを断念する。理由は米側の意向だ。

日本人の反核感情に理解を示す一方、何らの制約なく核兵器を運用できる基地の確保を米側が望んだためだ。外務省は、条約適用地域に「沖縄を含まない」と自制し、沖縄よりも「本土」の非核化を優先した。野党も実質的に「本土」の安全を優先した。著者・松岡哲平はこう総括する。

「最後に立ちはだかったのは、沖縄をただ軍事的に都合のいい場所とみなす、アメリカと一体化した眼差しだった」

沖縄に対する差別を自覚している日本人は多くない。しかし米政府は、日本人に潜在する歴史的な差別意識を見透かした上で沖縄の基地維持に活用してきた。

この「戦略」は今後も有効だろうか。沖縄には当然ながら「本土」と同じ民主主義に基づく規範や権利意識を持つ人々が暮らしている。公平性を問う流れは必然であり、さらなる基地機能強化や固定化につながる政策が県民の理解や協力を得難いことは、「辺野古」に関する民意からも明らかだ。

沖縄への米軍基地集中は「本土」の良心の呵責によるのではなく、持続可能な政策遂行の面から限界を見せつつある。

沖縄も朝鮮半島も本来の「戦後」の姿をまだ取り戻せていない。敗戦を忘却するほどに「平和」を享受してきた日本「本土」の視界に、その苦悩は映っているか。

韓国による日韓の軍事情報包括保護協定(GSOMIA)破棄によって、日本の米軍依存はさらに強まるだろう。米国との関係さえ損なわなければいい、という隘路にはまることは日本の「国益」にかなうのだろうか。

東アジアの溝を埋める取り組みはますます重要になる。

【本稿は8月24日付『毎日新聞』沖縄論壇時評を加筆修正の上、転載しました】

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