敗戦を忘却する「本土」の視座 ~日米安保と東アジア

この記事の執筆者

日本人としての後ろめたさ

「安保条約が日本にとって重要だと言うのであれば、その責任と負担は全国民が引き受けるべきではないか」

米軍用地の強制使用に関する代理署名を拒否した大田昌秀・元沖縄県知事は1996年、国と争った訴訟でこう唱えた。翁長雄志前知事も昨年亡くなる直前まで同じ主張を繰り返した。この保革を超える沖縄の声に「本土」で呼応した人たちが、「基地引き取り運動」のメンバーだ。『沖縄の米軍基地を「本土」で引き取る!』には、こんな基本認識が示されている。

基地引き取り運動は「沖縄の地で、そして『本土』に暮らす沖縄人たちによって何十年も積み重ねられてきた、『県外移設』という主張を礎とする」。この「県外移設」の主張を「私たち日本人は自分たちを守るために何十年も無視してきてしまった」。だから、「引き取り運動にもしオリジナリティがあるとすれば、その声にやっと気付き反応した、その一点」に尽きるのだという。

彼らの多くは沖縄に住み、辺野古に通い、人々の本音に触れた経験をもつ。そして、沖縄の「県外移設」の声を封じてきたのは「本土」のマジョリティの民意、つまり自分自身であると気付いた。運動にかかわる一番の動機は沖縄を「知ってしまった」こと。根底には日本人としての「後ろめたさ」がある。

「日本(ヤマト)の罪」を背負い続けた先達はジャーナリストの森口豁だろう。沖縄の新聞人・池宮城秀意の生涯をたどる近著『紙ハブと呼ばれた男』で、森口自身が東京都内の大学を中退して米軍統治下の沖縄に身を投じた経緯がつづられている。

原点は56年。東京の高校卒業直後の春休みに初めて沖縄を訪れた。高校生と交流し、米兵犯罪や米軍機騒音など「『平和な日本』に住む者には思いもよらない」現実に触れ、「見てしまった以上、黙っていることはできない。知ってしまった者としてその責任は引き受けねばならない」と腹を固めた。

森口の恩人でもある池宮城は「大の日本嫌い、日本人嫌い」で、沖縄の日本復帰運動に背を向け、社説で「国連による信託統治」を提唱した。池宮城が生涯向き合ったのが、「沖縄にとって日本とは何なのか」というテーマだった。この問いは今も沖縄内部で通奏低音のように響いている。

この記事の執筆者