政治の未来 沖縄を糸口に

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歴史的に見て沖縄には、そのときどきの日本の政治的な傾向が極度に凝縮されて立ち現れるところがある。

明治維新での中央集権化は琉球王国の解体と沖縄県の設置という大変動をもたらし、「一億玉砕」が呼号された太平洋戦争の末期には、熾烈な地上戦によって県民の四分の一が犠牲になり、「玉砕」に近い状態が現実のものになった。

つづく戦後には沖縄に米軍基地の多くが集約されたことによって、「平和国家」と「日米安保」の併存が可能になった面がある。昭和の戦前と戦後、その双方において日本のひずみが沖縄に集約されたかのようである。

 それでは平成はどうか。

平成政治外交のキーワードである「冷戦後」と「政権交代」に最も大きな影響を受けたのは沖縄であったといえよう。発端となった米軍普天間基地の返還合意は、1995年に起きた少女暴行事件の憤りを鎮めるために打ち出されたが、当時の大田昌秀知事が、米軍用地の継続使用に関わる代理署名を拒否したことも大きな要因であった。

大田知事には冷戦終結というチャンスを逃せば、広大な米軍基地が固定化されかねないという強い危機感があった。それに応じたはずの「返還」が紆余曲折を経て恒久的な新基地建設へと姿を変えたことに、今に至る「ねじれ」の本質がある。

 そして政権交代である。当時の鳩山由紀夫首相はこの「ねじれ」に向き合い、普天間代替施設の「最低でも県外」を掲げたものの、政権中枢が結束を欠いて官僚機構の統制もできず、本格的な対米交渉に至ることなく自滅した。

一言でいえば政治力の欠如だが、そのことによってこの問題に限らず、同政権が掲げた理念や方向性まで無意味なものと見なされ、日本政治の幅はすっかり狭くなってしまった。

 昨今の「安倍一強」とは、幅の狭くなった日本政治の代名詞である。安倍政権の体質や政治路線に疑問があったとしても、自民党内や野党に統治能力のありそうな勢力が他にない以上、仕方がないというのが「一強」を支える世の心象風景であろう。政策論争の不在は、政治の活力の衰退でもある。そのような雰囲気の中、辺野古新基地反対を掲げた翁長雄志前知事は全国的には孤軍奮闘を強いられることになった。

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