日米地位協定の本質とは?―米軍の「特権」批判では見えぬ解決策―

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玉石混交の新聞各紙「日米安保60年」特集

2020年は戦後75年、日米安保条約改定60年ということで、新聞各紙が日米安保条約や日米地位協定の特集を組んでいる。歴史から問題の起源をひもとき、現状と課題を問うという趣旨はどの新聞も共通しており、大いに共鳴するところだ。

ただ、新聞によっては、記者が基本的な事実関係を理解していない記事もあるのが気になる。とりわけ、日米地位協定は一般の読者には知らないこと、分かりづらいことが多い。分かりやすく単純化するのであればまだしも、記者に初歩的な理解が欠けており、必ずしも専門家ではない当事者、関係者、識者のコメントが並ぶような記事は、全国紙ともなれば、大勢の読者に誤った知識を与えることになる。

重箱の隅を楊枝でほじくるような、専門家による揚げ足取りだと思うだろうか。まったくもってそうではない。日米地位協定は、単なる研究上のテーマではないからだ。実務の問題であり、外交・安全保障の問題であり、何よりも、米軍基地がある場所に住む人々の生活と権利と命に直結する問題である。新聞が誤った議論を導けば、問題の解決が遠のきかねない。私は、それを危惧している。そして、新聞にこそ、そのような危機感を持ってほしい。

毎日新聞連載「特権を問う」の問題点

毎日新聞の連載「特権を問う」は、「今年で発効から60年の説目を迎える日米地位協定が、密約も含めて米軍関係者を優遇してきた仕組み」を「改めて浮き彫りに」しようとする企画だ。主に、日米地位協定第17条に規定された、在日米軍の刑事裁判権に焦点を当てている。

日米地位協定とは、在日米軍の地位や運用についての取り決めだ。だが、米軍の刑事裁判権を日米地位協定の問題とし、「米軍関係者を優遇」する制度ととらえるのは誤解を生む。これは日本だけではなく、米国のすべての同盟国に共通する問題である。もっといえば、第二次世界大戦後の米国が、同盟国に米軍を駐留させるというそれまで存在しなかった同盟関係を始めて以来、解決されていない問題だ。

同盟国の国民からすれば、外国軍が自国に駐留するという不自然な状態で、外国軍とその関係者による事件・事故で加害側が刑事裁判権を持つのは、自国の主権の侵害にほかならない。他方、米国の国民からすれば、自国の兵士が駐留先で拘束され、裁かれるのは人権侵害の恐れがある。米側が刑事裁判権を持つことは、自国民の保護という主権の問題に関わってくる。

同盟国側の批判が高じても、米国内の批判が高まっても、駐留米軍の撤退を求める声となる。それを安全保障政策上は不都合と考える両側の政策決定者たちは、密約も含めた米側の刑事裁判権の確保、あるいは地位協定の改定による同盟国側の権利の一定の確保を行ってきた。駐留米軍の裁判権は、同盟と主権の相克を象徴する問題なのである。

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