「軍は住民を守らない」戦後75年と薄れる教訓

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病死で遺骨も帰らぬ兵士

アントニオ・グテレス国連事務総長は2020年3月31日、新型コロナウイルス感染の世界的流行を、第2次世界大戦以来「最大の試練」と表現した。この言葉を借りれば、日本人にとって、新型コロナ感染は日中戦争・太平洋戦争以来、最大の試練といえようか。

戦中、中国や南洋諸島、東南アジア、そして沖縄の八重山諸島では、戦闘による死者よりも、感染病による死者の数の方がはるかに多かった。日本軍は、病死した兵士に関して架空の戦闘を作りあげて、「名誉ある」戦死として報告することもあり、病死した兵士の包括的な統計はほとんど残っていない。だが、残された部隊史によれば、補給を断たれて食糧不足で栄養失調に陥った兵士たちは、マラリアなどにかかりやすくなり、薬も食事も受けつけなくなって餓死していったという。

しかも、病と飢えで死んでいった兵士たちの遺体は、戦地に打ち棄てられた。火葬して骨を墓に納める日本の風習は、日清戦争後の火葬率が3割以下、1940年でも5割強と、意外にも新しいものだ。民間より早く火葬を導入したのが、日本軍だった。日清戦争以来、海外で戦死した兵士はその場で火葬され、遺骨が遺族に返された。だが、太平洋戦争後半になると、中国、東南アジア、太平洋諸島にまたがる広大な戦場で死んだ日本兵は火葬されず、空の遺骨箱が遺族に届くようになる。

遺族は戦後、遺骨収集を求めてきたが、現地の反発、風景の変化、遺骨の経年劣化等で、現在に至るまで完了していない。地元住民が戦後直後から遺骨収集していた沖縄でさえ、3000人近くの遺骨が未発見とされる。遺骨のDNA鑑定による身元特定も、5件にとどまる。コロナ感染で、遺骨収集事業も中断している。2020年は戦後75年の節目といわれるが、遺族にとって戦争はまだ終わっていない。

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