石垣住民投票裁判の判決(8月27日)を控え~裁判の経緯と争点の整理

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7.申請型義務付訴訟か(訴訟要件)

これは、原告らがなした石垣市平得大俣地域への自衛隊配備計画の賛否を問う住民投票の実施請求が、行政手続法2条3号にいう「申請」に該当するかという訴訟要件に関するもので、いわゆる義務付け訴訟としてそもそも認められるか否かという争点である。専門的な争点であるが、簡単に述べると、被告は、「申請」に当たるか否かは、私人(原告ら)の行為に対する行政庁の応答が義務づけられているか否かであるが、所定の手続きである議会の可決を経て住民投票を実施しなければならないということであり、「応答」が法的な意味で義務付けられているわけではない。また「申請」といえるためには、条文上「自己に対し何らかの利益を付与する処分」であることが必要であるが、住民投票は、石垣市の有権者全員が住民投票という「利益」を与えられるのであり、住民投票の請求は「自己のみならず署名しなかった第三者に対する処分も求めた」もので、「自己に対し」とは言えないと主張した。

これに対し原告らは、石垣市自治基本条例28条1項と4項が4分の1以上の要件を満たした申請があった場合の市長の住民投票の実施という応答の義務の関係を明確に述べたものである。「自己に対し何らかの利益を付与する処分」に関して、判例は情報公開条例に基づく公文書公開請求の義務付け訴訟においても処分性が認められており、公文書公開請求が、自己のみならず請求しなかった第三者にも広く知る権利を保障する結果となるが、直接的な処分はあくまで請求を求めた者に対するものである。同様に間接的な効果として原告ら(請求代表者や署名をした者)以外にも投票する利益が付与されるからといって、市長の応答義務は直接的には、住民投票を求めた原告らに対する処分であることは明らかであると主張・反論した。

8.処分性(訴訟要件)

これも、同様に「住民投票の実施」が「行政庁の処分その他公権力の行使にあたる行為」(行政事件訴訟法第3条2項)であり,「その行為によって,直接国民の権利義務を形成しまたはその範囲を確定することが法律上認められているもの」(最判昭和39年10月29日民集18巻8号1809頁)にあたるため処分性を有するか否かという訴訟要件に関するもので、いわゆる義務付け訴訟としてそもそも認められるか否かという争点である。これも専門的な争点であるが、簡単に述べると、被告は、行政に対する義務付訴訟において認められるべき行政処分とは、公権力性と直接の法的効果の有無である。原告らが求める規則の制定を含む住民投票の実施は、一般的・抽象的な行為であり、仮に住民投票が実施されても、投票の結果は何らの法的効果(法的強制力)をもたらすものではないので、投票結果は世論調査と大差ない事実行為に過ぎない。街頭署名活動や演説、マスメディアなどを通じて自由な表現活動が可能であり、住民投票でなければ実現できないものではなく、住民投票は権力的な行為ではないと主張した。

これに対し原告は、判例は単なる事実行為にも一定の「法律上の効果」ないし「法的効力」を有する場合には処分性を認めている。自治基本条例27条2項において市民、市議会及び市長は、住民投票の結果を尊重しなければならない義務を負う。また、同条例28条1項及び4項に基づき石垣市民のうち請求代表者と署名をした者が当該住民投票を保障されることを通じで投票する権利を行使できる法的地位を獲得するという意味でも「法律上の効果」ないし「法的効力」を生じる、これは憲法が保障する民主主義及び地方自治の根幹をなすものであると反論・主張した。

9.この問題の本質

以上が、この裁判の大まかな経緯と主要な争点である。原告らは、石垣島の人の将来を左右する重要な問題に対して住民投票で意見を表明する民主主義の根幹の権利すら奪われているとしてずっと闘っている。

現在、石垣市平得大俣の陸上自衛隊配備予定地では工事が日々進行中で、市民の抗議にもかかわらず、工事は止まっていない。石垣のみならず宮古島や奄美などでは、対中戦略の名のもとに第一列島線にある琉球列島を最前線として中国を封じ込める南西シフトという自衛隊の施設配備が急速に進んでいる。その本質は、オフショア・コントロールという戦略で、政治的に第一列島線に絶えず軍事的緊張が作られ、それがエスカレートし、島民も巻き込んだ突発的な島嶼限定戦争が現実的に起こり得るという琉球列島を日米防衛のため再び捨て石にする戦略であると指摘されている。

2015年には沖縄の負担軽減のため普天間基地のオスプレイ訓練を佐賀空港へ移転する案があったが、地元の反発に、菅官房長官は「地元の了解を得るのは当然」と計画を見送った。沖縄からは、全41市町村がオスプレイ配備撤回を求めたが一顧だにされなかったことに比べ二重基準との批判があがった。最近では、秋田市の自衛隊施設におけるイージスアショア配備が「地元の理解が得られない」という理由で撤回された。石垣島や宮古島をはじめとする琉球列島では、住民の反対や心配をよそに、安全保障は国の専権事項という理由で充分な説明もないまま自衛隊配備が急速に進んでいる。国策だからと強行するのは民主主義と言えない。ナショナルレベルの社会とローカルレベルの社会とは抱えている問題の種類も性質も違って然るべきである。問題が違う以上、憲法上も、地方自治体は国に対して地元として意思を表明する権利を保障しているのだ。

そして南西シフトは、辺野古新基地建設の問題と同様に、本土と沖縄の不合理な区分により、自己決定する自由が奪われており、自由に格差があるといえる。

この裁判をとおして考えてほしいのは、他者の犠牲の上に安全や平和を享受するようなやり方が果たして民主主義国家で許されていいのかということである。これは石垣の問題でも、沖縄の問題でもない。日本全体の問題であり、民主主義の問題である。ぜひ判決に注目し、関心をもってほしい。

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