忘れてはならない「原点」とは~普天間・辺野古問題

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「命を守る」が政策の柱

一方、地元市議だった山内さんが想起したのは、55年におきた「由美子ちゃん事件」だ。6歳の幼稚園児が米軍人に性的暴行を加えられた上で惨殺、遺体は遺棄された。犯人の米軍人は逮捕され、軍法会議で死刑判決が言い渡された後、45年間の重労働に減刑。米本国に送還後は沙汰闇になった。

被害者の自宅は山内さんの実家のすぐ近くで、一家とは顔見知りの仲だった。沖縄では広く語り継がれてきた事件だが、山内さんは高校生になるまで被害者の家族が隣人であることを知らなかったという。

「周囲の大人はそれぐらい、事件の話題をタブーにしていました」(山内さん)

山内さんは市議になった後、被害者家族の取材をしたい、というマスコミ関係者からたびたび仲介を頼まれた。しかし、両親は決して取材を受け入れることはなく、近親者にすら事件について一言も語らないまま亡くなったという。それほど壮絶な事件だったのだ。

95年の少女暴行事件がおきたのは、ちょうど40年後の同じ9月の、わずか一日違いだった。発生当初、山内さんは被害者の心情を慮るばかりで、抗議行動は頭に浮かばなかったという。沖縄世論の流れを変えたのは日本政府の対応だ。

「身柄が米側にあれば起訴まで米側が拘禁する」と定める日米地位協定を理由に、米軍は日本側への容疑者の起訴前の身柄引き渡しを拒み続けた。沖縄で協定見直しの声が高まると、日本政府は早々に米側に協定見直しを提起しない方針を表明した。上京して見直しを求めた大田知事に対し、外相は「いささか議論が走りすぎている」とはねつけた。

大田知事はその後、米軍用地の使用に関わる代理署名拒否を決意する。代理署名とは、米軍用地への提供を拒む地主に代わって県知事が代理で署名を行い、民有地の強制使用を可能にする手続きだ。知事がこれを拒否したことで、堅牢な日米安保体制を足元で支える沖縄の米軍基地の一部が一時、米軍による「不法占拠状態」となる事態を招く。

山内さんは当時の状況をこう振り返る。

「もう黙っているわけにはいかない、と。時間を経るごとに怒りの感情が地域に浸透し、県民大会の開催や知事の代理署名拒否の判断を支持する民意が結集されました」

県内で積極的に声を上げたのは女性たちだった。「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」が結成され、山内さんも合流した。96年2月にはカンパを募って米国キャラバンを敢行。約2週間にわたって全米各地の大学や教会などを巡り、沖縄の基地被害の実態を草の根の市民に訴えた。

同年4月、橋本龍太郎首相とモンデール駐日米大使が記者会見し、普天間飛行場について「5―7年以内に日本に全面返還することで日米が正式合意した」と発表。宜野湾市の市街地の真ん中にある米海兵隊の飛行場の返還は、地元も予期しない朗報だった。普天間返還合意は大田知事の姿勢を軟化させる「切り札」だったとの見方もあるが、山内さんはこう指摘する。

「少女暴行事件をきっかけに県民の怒りが大きなうねりにならなければ、日米両政府は『普天間返還』に動かなかったはずです」

だが、普天間返還合意は「辺野古新基地建設」という現在に連なる新たな火種の起点にもなった。普天間返還は同じ県内に代替施設を造ることが条件とされ、移設先は名護市辺野古沖に決められた。このときから山内さんは一貫して「1日も早い普天間飛行場の返還」と「辺野古新基地の建設断念」をセットで政治活動の柱に据えている。

「本来、普天間の危険性除去が目的だったはずなのに、今は辺野古に新基地を造ることが主になっている。本末転倒です」(山内さん)

とはいえ、政府が「沖縄県外への移設」を模索した時期もあった。自民党から民主党に政権交代した2009~10年だ。鳩山政権は「最低でも県外」の可能性を探ったが、結局、県民が納得のいく説明もないまま「辺野古」に回帰した。

「政権交代した暁には辺野古新基地建設がなくなる」との期待を抱いた山内さんは08年の県議選で民主党公認候補として当選、県政に進出した。しかし、鳩山政権の挫折とともに「約束が違う」と民主党を離党、無所属に戻った。

14年11月には「辺野古阻止」を掲げる翁長雄志氏が知事に当選。保革を超える「オール沖縄」態勢を構築した。一方、沖縄県が政府と対立を深めるのに伴い、日本本土では「沖縄バッシング」がネット上にとどまらない勢いを増していく。

山内さんが忘れ難いのは13年1月の「東京行動」だ。

沖縄県内の全41市町村長と議会議長らが署名した安倍晋三首相あての「建白書」を携え、県内の自治体、議会関係者らとともに東京・銀座でデモ行進した。建白書は、普天間飛行場の撤去とオスプレイ配備撤回、県内移設断念などを求める内容だ。この際、日の丸や旭日旗を持つ人々に取り囲まれ、「オスプレイは国を守るために必要だ」「売国奴」「日本から出て行け」と罵声を浴びせられた。山内さんは「なぜこんな仕打ちを受けなければいけないのか」とショックを受けた。

山内さんが掲げる政策の柱の一つに、「命を守る」という項目がある。ここには、建白書とほぼ同内容の要求がつづられている。

「沖縄で基地問題は命を守ることに直結します。基地に囲まれた生活空間で恐怖や不安におびえて生きる暮らしを本土の人たちは想像できますか」

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