常態に潜む「毒」

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「琉毒」「日毒」「米毒」

日本政府は、米側から日米安保条約5条が尖閣諸島の防衛に適用されるとの言質を取る一方、自前で中国の海洋進出に対峙する手段も整えつつある。

その「最前線」とされる先島諸島は沖縄「本島」とも異なる歴史を歩んできた。琉球国の首里王府に支配された時代は重税に苦しみ、琉球が日本に編入された後は中国(清)に「分割・割譲」されそうにもなった。「差別」と「切り捨て」の対象だった歴史は過去のものといえるだろうか。

沖縄文化・工芸研究所を主宰する宮古島出身の粟国恭子は、国家の周辺の<沖縄>、そして<沖縄>の周辺とされ、二重に中心視点から離れている宮古、八重山地方の人々は「歴史の中では常に政治的に『マイノリティ』から抜け出せないでいる」(『越境広場』7号)と論じる。この国家の周辺で進む自衛隊配備は「小さな島の営み」を失うことを予感させ、「沖縄戦の記憶の感触をよびもどす」と訴える。

しかし、「沖縄戦の記憶」は沖縄内部でも薄れつつある。ひめゆり平和祈念資料館説明員の仲田晃子は「おじい、おばあが沖縄戦で生き延びてくれたから、みんながいるんだよ」と家族の歴史と絡めた命のつながりを強調する「語り」が、沖縄戦の激戦地だった地元の小学生にすら響かず、もはや「自分たちと沖縄戦をつなぐ物語ではなくなっている」 (けーし風108号) と報告している。

戦争体験者が減る中、「中国の脅威」という現実政治の時流に抗うことの難しさが、島で暮らす人々の内面をも着実に変容させている。

歴史学者の鹿野政直は『八重洋一郎を辿る』で、2017年に叙事詩集『日毒』(コールサック)の発表に至った石垣島在住の詩人の境地に迫る。日毒は「日本を毒とする」という強い指弾性・告発性ゆえに、日本の詩壇から「良くも悪くも問題作」と受け止められ、「拒絶されたようにも映る」という作品だ。鹿野は八重山を軸とするとき、「琉毒」「日毒」「米毒」を刺し貫く切っ先が見えてくる、と八重作品の深層を刻む。

膨張する隣国の振る舞いに眉をひそめ、国境の島々を防波堤とすることで安堵感を得る、私たちの意識の中に「毒」は潜んでいる。

【本稿は2020年12月27日付毎日新聞「沖縄論壇時評」を加筆転載しました】

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