2.米軍再編計画における挫折と進展
次に基地の共同使用が進んだのは、ブッシュ・ジュニア政権と小泉純一郎政権の下での在日米軍再編計画である。2002年末から本格的に開始された在日米軍再編協議では、神奈川県のキャンプ・座間への米陸軍第一軍団司令部への移転が特に重視されたが、それとともに取り上げられたのが、基地の共同使用であった。
米国側は、日米の相互運用性を向上させて有事の際に迅速に連携できるようにすることと、日本側の負担で米軍の駐留経費を軽減することを目指し、嘉手納基地やキャンプ・ハンセンを自衛隊と共同使用することを提起した。一方、日本側は、2000年頃を境にして日本近海で中国の海洋進出が積極化したことに対し、島嶼防衛のための自衛隊と米軍との連携を重視していく。また2004年8月には普天間飛行場を飛び立った米海兵隊ヘリコプターCH53が沖縄国際大学に墜落し、沖縄県民の反発が強まったことで、日本政府はその対応に迫られる。
こうした中、日本政府は、在日米軍再編協議において地元の負担軽減と抑止力の維持の両立を掲げ、この観点から基地の共同使用を重視していく。当時の大野功統防衛庁長官は、米軍基地の管理権を自衛隊に移管し、その上での基地の共同使用を目指した。大野長官の考えでは、基地の管理権を日本側が持つことで、地元社会との調整も円滑化し、米軍関係の人員を減らすことができるし、日米の一体化によって将来的な米軍基地の縮小にもつながるというのだった。日本政府・自民党内でも、沖縄の米軍基地を縮小し、「自衛隊基地の中に米軍がある」状況を目指す動きもあったという。
もっとも、大野長官が目指した管理権を日本側に移管した上での基地の共同使用は、日米地位協定上、問題もあった。前述の日米地位協定の2-4-bにおいて、自衛隊基地を米軍が使用する場合は、米軍が使用する期間が限定されることになっており、従来の日本政府の見解では米軍の使用期間は約160日程度であった。日常的に米軍が自衛隊基地を使用する際には、地位協定の解釈見直しが必要になることが外務省や野党から指摘されたのである。また米軍側も、基地の管理権の移管には消極的だった。こうして、沖縄の基地の共同使用は、日米地位協定上より問題の少ない、米軍基地を自衛隊が使用する形式(2-4-a)に重点が置かれることになる。
2005年10月と2006年5月の2プラス2で、在日米軍再編計画が合意される。ここでは、普天間飛行場の移設のため、代替施設を辺野古のキャンプ・シュワブ沿岸に建設するという計画が決定される。さらに、沖縄のキャンプ・ハンセンを陸上自衛隊が、嘉手納基地を航空自衛隊が共同使用することになる。特に陸上自衛隊にとって、実弾射撃場が沖縄にない中で広大なキャンプ・ハンセンでの演習が可能になったことは大きな成果だった。しかし、当初目指された沖縄の米軍基地の縮小のための基地の共同使用は挫折し、平時から米軍基地の中に自衛隊が入って共同使用するというやり方が進んでいく。
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