辺野古新基地「日米共同使用」の歴史的文脈【下】

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3.民主党政権下での模索

 2008年1月に米国に発足したオバマ政権は、中国の政治的・軍事的・経済的台頭に対抗するべく、アジアへの「リバランス」を宣言する。一方、2009年9月、日本では政権交代によって民主党の鳩山由紀夫政権が発足する。鳩山政権は、普天間飛行場の辺野古移設計画を見直し、「最低でも県外」へ移設することを掲げたが挫折し、かえって沖縄県内の反発を強めた。

その一方で、2010年9月には、尖閣諸島沖で中国漁船が日本の海上保安庁の巡視船に衝突する事件が起るなど、尖閣諸島をめぐる日中対立が高まった。

 このように、一方では中国の台頭や海洋進出を受け、他方で普天間飛行場の辺野古移設問題をめぐって沖縄の反発が高まる中で、沖縄の基地の共同使用が模索されていく。2010年8月に提出された、菅直人首相の諮問会議である「新たな時代における安全保障と防衛力に関する懇談会」の報告書は、沖縄基地の自衛隊と米軍との共同使用を進めることを提言した。報告書は、「沖縄に米軍基地が集中している現状は、日本国内の基地負担のあり方としてはバランスを欠いており、その負担の軽減努力を継続しなければならない」と指摘する。その一方で、「沖縄の地理的・戦略的な重要性に鑑みて、総合的に判断されるべき」だという。これらを踏まえ、「自衛隊と米軍の関係強化を図ることができる」ことに加え、日米間や軍民間の文化の相違を調整できるとして「地域住民にとって目に見える負担軽減策として、日米両政府が共同使用の問題に積極的に取り組むべき」だと論じたのである。

 この報告書を踏まえて、2010年12月に政府によって「防衛計画のための大綱」が決定され、そこでは、離島への自衛隊配備など南西地域の防衛力強化とともに、「共同訓練、施設の共同使用等の平素からの各種協力の強化」を目指すことが明記される。さらに、20012年4月の2プラス2では、日米両政府は、在日米軍再編計画の見直しとともに、南西地域の防衛態勢の強化が謳われる。そこで重要な施策の一つが、「施設の共同使用」を通した「二国間の動的防衛力」であった。

 普天間飛行場の辺野古移設問題で迷走した民主党政権にとって、基地の共同使用は、重要な解決策だとみなされていた。北澤俊美防衛相は、国会での答弁で、普天間飛行場移設のための辺野古新基地について、「自衛隊の管理の中で代替施設を米軍が」使用する方策を模索していると述べている(衆議院安全保障委員会、20011年5月26日)。当時防衛政務官だった長島昭久も、「沖縄の基地負担軽減に力を注ぐと共に、今後尖閣や南西諸島に対する中国の軍事的脅威が拡大することを想定し、陸自と 米海兵隊との連携促進の一環として、広大なキャンプ・シュワブを米軍専用から共用に転換する考え方で省内一致していた」と証言している(長島昭久ツイッター、2021年2月1日)。

 基地の共同使用は、戦略的にも重要だとみなされた。この時期には、中国のミサイル能力の向上によって、沖縄の米軍基地は軍事的に脆弱になっていた。こうした背景から、在日米軍再編計画が見直され、沖縄の海兵隊のうち戦闘部隊など9000人がグアム、ハワイ、オーストラリアに移転することになった。これに対して日本側は、米軍を引き止め、日米同盟の抑止力を維持するためにも、自衛隊と米軍との基地の共同使用が重要だと考えた。特に尖閣諸島など中国の海洋進出が積極化する中で、米軍と自衛隊が一緒にいることは、中国軍を牽制する効果があるとされたのである。

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