殺された命の真相究明―戦没者遺骨と戦争遺品を繋げて考える

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4月18日付の琉球新報で、国吉勇氏が収集された戦争遺品についての記事が掲載されていた。実は、私が沖縄と関わりを持つようになったのは、国吉勇氏との出会いがきっかけ(その詳細はプレジデントオンラインの拙稿をご覧下さい)である。

2015年、国吉氏が60年に亘る遺骨収集の過程で集めてきた十数万点もの遺品が保管されている私設の「戦争資料館」を訪ねた際、一点一点の遺品を説明しながら「戦後70年たっても、壕に入れば遺品は毎日出土し、遺骨も毎年数柱は出続ける」と語る国吉氏を前にして、私は沖縄戦に対する無知・無関心を恥じた。その原体験が、今も沖縄と向き合い続けるエネルギーを生み出し続けている。

国による沖縄分断政策が続く中、「遺骨で基地を作らせてはならない!」と、現在進行形の課題だけで頭がいっぱいになりそうになる。ただ、今回の土砂採取問題も、「特定の地域に犠牲が押しつけられる」という日本社会の構造的問題であるし、沖縄の自己決定権に関わる問題でもある。

「遺骨が混じらなければ基地を作っても良いのか」「遺骨収容が完遂していないのは沖縄だけでもない」といった批判(「沖縄だけ甘えるな」といった、沖縄ヘイトのような批判も含めて)に応答していく必要もある。日本社会の構造を正すための長期戦を戦うには、「沖縄島南部の土砂を用いるのは何故問題なのか?」について、きちんと理論化する必要があるように思う。

そこで本稿では戦争記憶の継承という観点で、土砂採取の問題と戦争遺品の保存・継承の問題とを繋げて考えてみたいと思う。

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