殺された命の真相究明―戦没者遺骨と戦争遺品を繋げて考える

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国による沖縄分断政策

遺骨と同様、遺品も現在危機に直面している。行政からのバックアップが十分ではなかった結果、個人の努力で収集・保管されてきた戦争遺品は、家族単位では保管を続けることが難しく、最悪転売されてしまうリスクもあるという(例えばオンラインでの戦争遺品の取引に関する日本経済新聞の記事などを参照)。

遺品が商品化され、「戦争の声なき語り部」としての力を奪われていく現状が恐ろしい。具志堅氏も4月16日の知事の記者会見後、戦没者・遺族の尊厳より経済的利益を重視する業者の姿勢を非難していたが、戦没者の遺骨が基地を埋める建材として商品化されようとしている現状が、戦争遺品を取り巻く現状と繋がって見えてくる。

「せめて遺品だけでも帰ってきて欲しい」と願う遺族がいる。「せめて遺品だけでも遺族にお返ししたい」と願う遺骨収集ボランティアがいる。遺品は単なるモノではなく、遺骨と同様に戦没者の尊厳の担い手の役割を負っているのだ。遺骨と同様、遺品も風化・劣化が進んでいる。全ての遺品を収集することは出来ないし、収集した遺品全てを遺族に返還することも出来ない。だからこそ、遺品の保存・継承と、遺骨の尊厳の確保とは、戦没者の生き様を記憶し続けるという大きな課題の下で結びついた問題として、沖縄県などの公的機関が先頭に立って取り組むべきように思う。

ただ、ここで強調すべきは、沖縄県や県内業者が「死の真相究明」に反するかのような行動を行っている背景には、国による沖縄分断政策があるということである。沖縄戦の記憶そのものが染み込んだ沖縄島南部の土砂で基地を作り、その過程で県民同士に分断を強いることは、ウチナーンチュが沖縄戦の記憶を共同体として継承することへの不当な妨害なのである。

4月5日~9日に行ったオンライン学習会の中で、具志堅氏は、沖縄戦の戦没者は「死んだ」のではなく、「殺された」のだと強調された。戦争遺品についても、似たようなことが言えるだろう。つまり、遺品の持ち主は「死んだ」のではなく、「殺された」のだし、遺品は土に「埋まった」のではなく、「埋められた」のである。

分断政策を進める国の暴虐により、一方的に遺骨も遺品も(当然沖縄本島南部から採取した土砂には戦没者の遺品も混在しているだろうから)基地の建材にされることを、ウチナーンチュの方々は戦没者が「二度殺される」と表現しているが、正鵠を得ていると思う。「沖縄が日本の犠牲にされる」という構図は、沖縄戦の戦闘が終わって76年が経過した今も続いているのだ。

新谷尚紀先生の『日本人の葬儀』によれば、日本人には古くから霊魂と肉体の両方が適切に弔われなければ葬礼が果たせないという考えがある(p.253)そうだ。つまり、「遺骨(それが無理ならせめて遺品)が遺族の元に返らなければならない」という考え方は、沖縄の遺骨収集ボランティアの突飛な思いつきではなく、日本の精神文化とも繋がりがあるものではないだろうか。そう考えたとき、具志堅氏らがハンガーストライキまでして行った問題提起は、日本人の精神文化が忘れられようとしていることへの警鐘でもあったのではないかと思えてくる。

段々まとまりがなくなってきてしまったが、戦没者遺骨と戦争遺品とを繋げて考えたとき、戦争記憶の継承・死者の尊厳・日本の精神文化など、さらに掘り下げるべき課題が数多見えてくることは、おわかり頂けたのではないだろうか。どんどん出てくる論点を、頭を冷やして系統立てて整理・理論化する必要があるし、その議論が尽くされない状態で、国に一方的に現状の基地建設計画を強行されては困るのである。

「どうせ遺骨・遺品を全部収集することは出来ないのだから」との開き直りを許してはいけない。そう考えた方は、是非国にブレーキを掛けるための行動を取って欲しいと思う。筆者らが呼び掛けた「遺骨で基地を作るな!緊急アクション!」が、そのための具体的な道しるべになれば幸いである。

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