殺された命の真相究明―戦没者遺骨と戦争遺品を繋げて考える

この記事の執筆者

戦没者の「命の歴史」を想像する

こうした遺骨の隠れたストーリーを想像する行為は、戦争遺品への対峙の仕方に似ている。例えば、タンスの部品や食器など住民の持ち物と、手榴弾・狙撃銃・医療器具のような日本軍に関連する遺品とが同じ場所から見つかった場合、私たちは戦争遺品からも沖縄住民と日本軍とがごっちゃになった沖縄戦の実相を想像することが出来る。

住民の持ち物が「遺品」になったということは、持ち主はその場で戦没したのか。それとも、避難場所を日本兵に奪われ、「鉄の暴風」の中を逃げ惑うことになったのか。本土防衛のためなら沖縄の犠牲を厭わない当時の日本軍の方針により、住民がどのように犠牲にされたか、少しはイメージがつかめるようになってくる。

遺骨も遺品も、平和学習の教材のように「利用」するべきではないが、それらに向き合う私たちが、戦没者の「命の歴史」を想像しようとすることにより、「声なき語り部」としての力を発揮する。それが、国家の起こした総力戦の犠牲者の人としての尊厳を少しでも回復させることであるし、「軍は住民を守らない」というウチナーンチュの方々がずっと繰り返してきた沖縄戦の教訓の重みを自分の胸に刻み込むことにも繋がる。

ウチナーンチュの方々が、沖縄に基地が押しつけられる現状、つまり沖縄戦が終わった現在でも軍との同居を強いられる現状に、なぜあれほど危機感・恐怖感を抱くのかについても、多少は推し量ることが出来るだろう。

戦後76年が経過し、遺骨は風化、遺品の中にも収集困難なくらい損傷が激しいものも多い。しかし、どれほど土と同化しようと、それらの個別性をないがしろにしてはならない。遺骨の背後には戦没者の、遺品の背後には沖縄戦中を生きた持ち主の、固有の人生の歩みがある。単なる「出土人骨」「出土品」とは違うのだ。基地の建材として、まとめて海に投げ込んでしまう訳にはいかない。そんなことを許せば、戦争が一人ひとりの生存権と尊厳を奪うという事実も、日本が起こした戦争の問題点も、全て忘却し不問に付すことになってしまう。

遺骨収集という同じ営みに取り組んでこられたからか、国吉氏と具志堅氏の姿や使う言葉には重なるところが多い。お二人とも、「お骨を日の当たるところに出し、ご遺族のもとにお返ししたい」という一心で壕に入るとおっしゃる。その主張には右も左もない。国の犠牲になり、さらに戦後も暗い壕の中に棄民状態で放置されている戦没者の方々に、少しでも尊厳の光を当てようとする人道主義の表れだ。

遺品・遺骨の出土状況を記憶し、語ることへの思いも共通している。

国吉氏も具志堅氏も、壕から遺骨や遺品が出た様子を、写真で記録したり表にまとめたりして、出来るだけ正確に記録される。具志堅氏が、遺骨収集の現場の記憶の保存にどれだけ神経を使っていらっしゃるかは、氏の著書『ぼくが遺骨を掘る人「ガマフヤー」になったわけ。―サトウキビの島は戦場だった』を読めば判って頂けるはずだ。

国吉氏は遺品一点一点に収集日・収集場所を書いたテープを貼られる。それがあると、遺品が出た様子を思い出し、語ることが出来るからだという。「遺品は宝物」だと国吉氏は私に語った。遺品は戦争の実相の「声なき語り部」であるし、もし遺品を返還できた場合は、遺族に肉親の最期に関わる手がかりを渡すことが出来るからだ。

国吉氏・具志堅氏が遺骨収集をする一番の目標は、遺骨・遺品を遺族に返還することだ。遺骨の返還が叶わないなら、せめて遺品だけでも家族のもとに返したい、との思いがあるという。

4月17日のシンポジウムで元海兵隊員のダグラス・ラミス氏と話を交わした具志堅氏が、すかさず米兵の名前が彫り込まれた飯盒を収集した話を持ち出し、それを遺族に返還できるか問うていたのが印象的だった。国籍を問わず、あらゆる戦没者の遺骨・遺品を故郷の肉親の元にお返ししたいという深い人道主義は、「鬼畜米英」などという言説に盲従し、自らの故郷を戦場にしてしまった沖縄戦の歴史から学んだ教訓であろうか。「安全保障」という言葉で、仮想敵国を創り出し、現在進行形で沖縄に兵力(米軍も自衛隊も)と住民との同居を強いる日本の姿勢とは大違いである。

遺骨や遺品を収集するという営為は、人道主義に則り、戦没者一人一人の「死の真相」に対峙する行為なのである。筆者もつい先日お叱りを受けたばかりだが、そもそも「収集」という言葉で語ること自体、失礼だ。決してコレクター根性で壕に入っている訳ではないからだ。

沖縄戦体験者や、体験者と戦後の歩みをともにした人々からの聞き取りに励んできた筆者の友人は、3月28日付の琉球新報の論壇で、遺骨・遺品の収集などを通して戦没者の声なき声に向き合ってきた「同伴者」の声を聞くことの大切さを訴えた。遺骨収集を永遠に不可能にしてしまう、今回の土砂採取計画は、そうした「同伴者」の営みに対する冒涜でもあるのである。

この記事の執筆者