今年の「屈辱の日」を迎えるに当たって―直接行動を前にした決意表明

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今回の土砂採取問題は、記事の「書き溜め」を許してくれない。時々刻々状況が変わり、それに対峙する自分の思索もどんどん変わる。その切迫感・臨場感を読者の方々と共有しようと試みると、締め切り当日に書き始めることになる。テーマも表現の形も毎回変わってしまう。

今回の記事は、今までと変わって日記風のスタイルだ。普段の自分は、社会問題を特定の視座から切り取り、論として止揚する「論じ上げ」型の記事を書きがちだが、正直今状況を静観し、メタ的に思考する精神的余裕がない。4月28日の直接行動を向けた準備に、あまりに気が急いてしまっているからだ。

しかし、沖縄にとっての「屈辱の日」に際し、何か表現を残したかった。そこで、この間の自分の動きを赤裸々にレポートしてみたいと思う。即席の直接行動であり、恥ずかしいほどの自転車操業感であるが、正直に自分の経験を曝すことで、「今にも遺骨で基地が作られてしまうのではないか」と焦る方々の緊迫感と、土壇場で運動の形を作ってしまうウチナーンチュの方々のしなやかさを伝えられれば嬉しい。

最初に、何故私が4月28日に直接行動を起こすことに執着したのか、簡単にご説明したい。ウチナーンチュの方々は、4月28日を「屈辱の日」と呼ぶ。1952年4月28日に発行したサンフランシスコ講和条約の結果、日本「本土」が主権国家として独立を獲得する引き換えに、沖縄は米軍占領下に入れられたからだ。沖縄戦の組織的戦闘が終わってからたった7年で、沖縄は再び日本の「捨て石」として切り離されたのである。そして、沖縄の切り離しは、所謂「天皇メッセージ」が示すとおり、昭和天皇裕仁が日本国憲法の制限を超えて政治介入するほど「希望」したことだったのである。

その後1972年までの27年間に渡る米軍占領期間中、本土から沖縄へ基地・海兵隊の移転が進み、沖縄では人権が蹂躙される事件が相次いだ。その時に生み出された沖縄の基地過重負担という構造的差別は現在まで続いている。

だから、4月28日は「屈辱の日」なのだ。決して日本が独立を果たした「祝日」ではないのである。

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