ネットに蔓延する心ない言説・論点のすり替えを明確に拒絶するウチナーンチュの学生の声
直接行動の準備に追われる一方、26日は沖縄国際大学の講義1コマをお借りし、「緊急アクション!」呼び掛け人の3人が、アクションにかける思いを話し、今回の問題・遺骨の持つ意味・この先学生が出来ることなどを議論する機会を得た。
正直、朝から実働部隊探しに明け暮れていたため、「学生の方々から金武さんと共に沖縄防衛局に要望書を提出しに行く人を見つけ出せれば良いな」という思いが拭えなかった。沖縄の学生がこれほど怒り・問題意識を持っているという図が撮れれば、多少は全国メディアへのプレッシャーになるのではないかとの思いもあったが、ウチナーンチュの学生を運動の歯車・広告塔のように捉えてしまう自分の目線には暴力的なものがあったと思う。具志堅氏ら沖縄の方々の声に応答するヤマトンチュという立場なのに、つい運動の指揮官ぶってしまう自分を、今一度戒めたいと思う。
ただ、同世代のウチナーンチュの前で、沖縄と対峙する自分の胸の内を話すことは、目の前の運動で手一杯になりがちな私にとって貴重な内省の機会だった。特にZoomの小会議室機能を用い、4人の学生と直接意見交換出来た上、担当の先生から学生の感想を共有して頂けた結果、彼らの生の声を聞き取るこの上なく貴重な経験が出来たと思う。
小会議室での議論で印象的だったのは、仮にこの問題の詳細は追い切れていなくても(鉱業法・自然公園法など、専門用語が次々出てくるし、わかりにくい問題であることは確かだろう)、皆が口を揃えて「この問題の全容を知ると、遺骨で基地が作ろうとされていることに、憤りを感じる」と言ったことだ。
ネット上では、「日本全国の土砂に戦没者の遺骨が含まれているから、沖縄だけ特別ぶるな」「那覇空港滑走路の埋め立てでも、同じ土砂を使っただろう」といった、ヘイトじみた言論も多い。しかし、同じことを全国でしているからといって、それが人道上問題がないとの結論はおかしいし(「他人が殺人を犯しているから、自分も殺人を犯して良い」と主張するのと同じくらい暴論だ)、何より戦争の犠牲になった方の遺骨が新たな戦争を生む基地の建材になることが許せないのである。ネットに蔓延する心ない言説・論点のすり替えを明確に拒絶するウチナーンチュの学生の声を聞き、背筋が伸びる思いだった。
学生の一人は首里高校出身だった。首里高校の前身は、沖縄県立第一中学校。沖縄戦中は「鉄血勤皇隊」を組織し、生徒を少年兵として動員してしまった過去を持つ。当時の学徒が使っていた壕や、学徒の遺品などを集めた資料館もある。この学生は、在学中はあまり資料館に足を運んだこともなかったそうだが、戦跡が破壊されようとしていることを知り、卒業した今、改めて資料館に足を運び、沖縄戦の歴史を学び直してみたいと語った。
ちなみに、鉄血勤皇隊を巡っては、今年検定に合格した明成社の高校教科書「歴史総合」が、慰霊塔の一中健児之塔を「顕彰碑」と紹介した問題が起きたばかり。土砂採取による戦跡の破壊と同時に、無辜な少年の犠牲を殉国美談に変えてしまおうとする歴史修正主義的教科書が、沖縄戦の記憶継承を脅かしている。
学生の方々に実施した授業後アンケートでも、「実際に当事者の方の映像を見ると、とても胸が痛くなり他人事ではないと強く思うと同時に、沖縄の声を無視して、遺骨をただの石かのように扱いをする国に怒りを感じました。今日の授業を受けて、自分自身が沖縄県民の一員であることを改めて思う方ができ、この現状を変えなければならないという意識に変わりました。不法な権力をふるう大人たちに負けたくないと思いました」
「遺骨は死んでいてもその人とその遺族の人たちのもので、しっかり家族のもとに返さなければいけない大切なものだと思うので、埋め立てに利用するのは絶対にあってはならないことだと思いました。(中略) 日本は沖縄に無関心だから、非人道的なことも普通に提案できるんだなと思いました。日本人の娯楽のための沖縄だけでなく、沖縄の本質も知って欲しいと思いました」
「国の沖縄への対応は本当にひどいもので沖縄の人はもっと自分の地域がどういう扱いをされているのか考え直すべきだと思いました。そして自分の意見をもっと発信して、沖縄の人だけでなく本土の人にも沖縄について知ってもらうべきだと思います」
「戦争という大きな悲劇の被害者達は忘れ去られてしまっていいのでしょうか、その遺骨をなかったことにしていいのでしょうか。私もそうは思いません。死者に敬意を払えない者は生者に対しても敬意を払うことができないと思います。だからこぞ沖縄はあの頃からずっと軽んじられたままなのでしょう」といった声が相次いだ。
ヤマトが沖縄の戦争記憶を破壊しようとしている一方、それに対抗しようと自分の世代のウチナーンチュが声を出し、動きを起こしている。決して楽観的な状況ではないが、ウチナーンチュは決して「やられっぱなし」ではないのだ。
講義の最後には、4月28日の直接行動に加われる人は、実際沖縄防衛局に足を運んで金武さんを後押しして欲しいとお願いした。ただ、沖縄国際大学の先輩でもある、私以外の呼び掛け人の2人からは、「実際動く人が出てくる確率は低いだろう」という話だった。それは、決して学生にやる気がないからではなく、親戚に業者関係者がいるなど、そう簡単に直接行動に加われない事情があるからだ。
国の沖縄分断政策が家庭にまで浸透している結果、心の中では国の横暴に抗議したいと思っている学生たちが、自由に直接行動に踏み切ることも出来ない状況が作り出されている。だから、そんなしがらみを気にする必要がないヤマトンチュの学生こそ動かねばならない。そう思うと、ますます気が引き締まった。