今年の「屈辱の日」を迎えるに当たって―直接行動を前にした決意表明

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4月28日は日本全体に対するアピールの機会

そのような「節目の日」なので、辛うじて全国メディアで沖縄が注目されるはずだ(し、注目されるべきである)。また、4月29日は公休日で直接行動は出来ず、30日は業者の弁明提出期限なので、この問題に関する別のニュースをぶつけたくない。全国メディアが沖縄に注目する次の節目は5月15日の「復帰の日」であるが、沖縄県知事が命令の最終判断を下せる期限は5月14日。つまり、4月28日を逃すと、知事の最終判断までに日本全体の世論を喚起し、現状を打開するタイミングはないのである。

それに、具志堅氏は、私たちが4月5日~9日に行ったオンライン学習会(5日間分のアーカイブはすべてこちらで視聴可能)でも、何度も若者が直接行動することの重要性を訴えていらっしゃった。4月28日に、きちんと直接行動を行うことで、「具志堅氏に応答する」という当初の姿勢を貫くべきだ。これ以上沖縄の方々に、屈辱感を味わわせる訳にはいかない。

しかし、4月25日から東京・京阪神は緊急事態宣言入り。大規模な街頭宣伝も、省庁前の集会も難しい。しかし、市民の関心を高め、一人一人行動を起こして貰うためには、何かしら市民の目につくアピールをしなければならない。最後の最後まで、街宣や省庁前行動の可能性を探った。

ただ、緊急事態宣言が出た以上、万一クラスターを発生させてしまうと、医療現場の方々に申し訳ない。目立つことをすれば、「市民生活を危険にさらす左翼集団」かのように切り取られ、具志堅氏らの足を引っ張ることになる。

4月28日に直接行動を行おうとするのは焦りすぎではないか、との批判もあった。しかし、遺族の方々や具志堅氏らにとっては、「今にもご遺骨が基地の材料として売り払われるのではないか?」と不安でいっぱいだろうし、一人でも多くの人に、一刻も早く行動して欲しいと願っているはずだ。

確かに4月28日に直接行動を行ったところで、何か具体的な変化を起こせるわけではない。

ただ、4月28日が、日本全体に対するアピールの機会になるのなら、絶対にそれを逃してはいけない。

結局、以下の行動を行うことに決定した。

何とか直接行動の像は見えてきた一方、実働部隊を確保しなければならない。要望書の提出をする人、プレスリリースを投げ込む人(コロナ禍にもかかわらず、記者クラブに出向いての投げ込み主義が温存されている現状に苦言を呈したい)、つてのある記者に連絡する人、要望書の共同要望人を揃えなければならないのだ。

さらに、街宣行動もなく文書を郵送するだけの直接行動をした場合、メディアの注目を得ることはほぼ不可能だ。4・28に向けた話題作りについて、筆者はテレビ業界で働く知人を持つ知人と相談していたのだが、「派手な画がないとプロデューサーが企画を通してくれない」との話だった。遺族・具志堅氏の訴えも「派手な画」ではないとしたら、文書の郵送程度で取り上げて貰える訳がない。せめてオンラインであっても、何か「画として映える」痕跡を残さねばならない。そのためには、27日にオンライン記者会見を開くことが不可欠だ。

26日、朝から実働部隊になってくれそうな方々に電話を掛け続け、何とか以下のような形で直接行動をする算段がついた。

  • 防衛省・厚生労働省への要望書は郵送する。
  • 沖縄防衛局への要望書は金武美加代さん(首相官邸前でハンスト・寝座り込みをされた後、現在は沖縄で現地レポートなどをして下さっている方)が直接提出する。
  • 茨木市議会には筆者が地元の市民運動関係者の方々と陳情書を直接提出、その後市役所前で小規模なアピールを行う。
  • 前日の27日、金武さんと筆者でオンライン記者会見を行う。金武さんは熊野鉱山から現場中継を行う。

特に苦戦したのが、東京でのプレスリリースの投げ込みであった。在京ヤマトンチュの若者に任せようと思ったが、皆、大学や仕事の都合で、閉庁時間までに都庁記者クラブに行くことが出来ないらしい。

助け船を出して下さったのは、一坪反戦地主会のウチナーンチュの方々であった。電話とSNSだけの繋がりで、26日午後に都庁に行ける方を探し出したのが午後2時半。至急連絡し、見ず知らずの若造から、「3時までに完成版のプレスリリースをメールするので、25部ほど印刷して、5時までに都庁に持って言って欲しい」という無礼極まりない要求をされたにもかかわらず、私の無謀を全て受け入れて下さった。

ウチナーンチュの方々のネットワークのお陰で、たった1日でなんとか直接行動を組み立てることが出来た。本来であれば、「沖縄の声にヤマトが応答する」というのが筋なので、ウチナーンチュの方々を動員したのは、とても心苦しかった。数々のぶしつけなお願いをしたにもかかわらず、文句一つ言わずに手を差し伸べて下さった方々には、感謝してもし切れない。

しかし、そんなセンチメンタリズムを打ち砕くことが起こった。都庁の総合案内係が、「事前に記者クラブから了解を得ていない」との理由で、投げ込みを許してくれないという。

仕方なく急遽記者クラブに電話し、「緊急に投げ込みたいプレスリリースがあり、所要部数を持って都庁で待機しているから、投げ込みを許可して欲しい」と訴えると、投げ込みの内容を教えろ、とのこと。幹事社が投げ込みの話題を選別しようとする姿勢に疑問を感じつつ、「沖縄島南部からの土砂採取問題に関し、直接行動を行うので、その告知をしたい」と言うと、明らかに先方の声色が変わった。返事は、「都庁記者クラブでは都政に関係ない話題は扱えないので受け取れない」とのことだった。

勿論、それで引き下がるわけにはいかない。現在沖縄で起きているのは市民全員が対峙すべき人道上の問題であること、都民が沖縄からの訴えに呼応してプレスリリースを持参していること、都民を含め日本社会の圧倒的マジョリティである本土の人間が行動しない限りこの問題は解決しないこと、この問題の一番の被害当事者である沖縄戦戦没者の遺族の中には当然都民もいること… あの手この手で訴えても、「都政に関係ない」の一点張りだった。

この国の報道の仕組みは、明らかにおかしい。筆者自身も、別件で大阪府政記者会にプレスリリースの投げ込みをしたことがあるが、その際も幹事社に投げ込みの内容を説明し、許可を得なければならなかった。実際投げ込まれた内容を取り上げるかどうかは報道機関次第だが、幹事社の独断で投げ込まれる話題の選別が行われるというのはいかがなものか。

まして、今回の話題はあらゆる市民が認知すべき人道上の問題であり、報道の寡少のせいで、問題の一番の被害当事者すらその問題を認知できていないという現状がある。報道機関が市民の表現の自由と知る権利を奪っているのではないか。自分のプレスリリースが受け取って貰えなかったことへの怒りより、この国の言論空間の危うさへの恐怖を感じた。

結局、投げ込みには失敗したので、善後策として、繋がりのある記者にプレスリリースをメールしつつ、各社にfaxやメール・投稿フォームを通してプレスリリースを送ることしか出来なかった。

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