今年の「屈辱の日」を迎えるに当たって―直接行動を前にした決意表明

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「具志堅さんをはじめとする沖縄の方々に対する応答」でしかなく、目指す運動形態も「若者限定でなく、あらゆる世代が繋がった運動」

4月27日、金武さんと私はオンライン記者会見に臨んだ。金武さんは熊野鉱山から中継を行ってくれた。

まず印象的だったのは、「何かが確実に進もうとしている」という気持ちの悪い実感である。山林が切り開かれ、石灰岩・木材などの小山が作られている。ユンボに新しい雑草が巻き付いていたことがあるから、最近ユンボを同鉱山周辺で使っていたことになる。業者の姿は見えなかったし、土砂の搬出など目につく作業が行われているわけでもないが、真綿で首を絞められているような恐ろしさに身が震えた。

そんな鉱山の現状を、遺族や具志堅氏はどのように見えるのだろう。「骨片一つでも遺骨を返して欲しい」と望む遺族の方々は、「次の瞬間肉親の遺骨が建材として売り払われるのではないか」という怯えに駆られるだろうし、遺骨収集を通して遺族と向き合ってこられた具志堅氏はその気持ちを共有されるだろう。何が起きようとしているのか、全貌が全く判らないから、なお気持ちが悪い。遺族の方々・具志堅さんらは、あと何年この不安と共に毎日を送らなければならないのだろう。

現場では想定外の出会いもあった。島ぐるみ会議の方も現場を訪れていたため、急遽記者会見に出演、国の暴虐に脅かされる鉱山を前にしたウチナーンチュの思いを伝えてくれた。その方は、金武さんにアブ(縦穴の鍾乳洞)の洞穴を見せながら、アブや壕で犠牲になった住民の話をしてくれた。

熊野鉱山にはシーガーアブ(有川中将自決の壕)と呼ばれる洞窟が隣接している。「有川中将自決の壕」とも呼ばれ、近くには「有川中将以下将兵自決の碑」という立派な記念碑もあるので、あたかも日本軍の陣地壕かのような印象を与えるシーガーアブ。しかし、実際は軍人に混じって住民の方々もそこに避難していたようである。軍民混在の状況で、住民は米軍への投降を選べず、結果米軍の馬乗り攻撃を受けて亡くなってしまった(シーガーアブの詳細に関しては北上田先生のブログの記事を参照)。

「助けてぃくみそーり」 具志堅氏がハンガーストライキ現場から県庁に向かって叫んだ言葉は、米軍の攻撃を受けた壕で生き埋めになった母親が発した言葉だという。遺骨収集をする過程で、具志堅氏は見つけたご遺骨から、何度も「助けてぃくみそーり」との声なき声を聞き続けたのではないか。住民を巻き込んだ泥沼の地上戦で犠牲にされたウチナーンチュの魂が、具志堅氏に乗り移って、「助けて!」と叫ばせていたのではないだろうか。

大切なのは、熊野鉱山で出会った島ぐるみ会議の方が、実際のアブを前にしながら、一連の話をしてくれたことである。アブなどの戦跡が残されているからこそ、その場に足を運べばウチナーンチュは共同体として継承してきた沖縄戦の記憶を想起し、語ることが出来る。従って、戦跡を鉱山開発で破壊してしまうことは、沖縄戦の記憶継承の場の破壊であり、沖縄戦の忘却を意味するのである。

沖縄島南部の土砂に染み込んでいるのは遺骨だけではない。沖縄戦の記憶そのものが染み込んでいるのだろう。もし県知事が中止命令を出せなければ、国が公然と沖縄戦の記憶を破壊するために沖縄の業者を使うようになることを意味する。先述した沖縄国際大学の学生さんのような個人の抵抗を凌駕する勢いで、国主導の戦争体験の忘却が進められようとしている。

沖縄島南部の「景観」は、沖縄戦が作り出したものであり、沖縄戦の記憶継承に不可欠なものである。だから、「戦跡国定公園」として「景観」保護の対象になっているのである。自然公園法による中止命令が焦点となるこの問題は判りづらく、戦跡を「景観」と呼ぶのも据わりが悪い感じがあるが、要は沖縄戦の記憶を守る戦いなのだ。

ここ数日、めまぐるしく動く中で、新たなウチナーンチュの知り合い・協力者の方々との出会いがあった。ウチナーンチュの方々のネットワークの強さに息を呑みつつ、どれほど皆さんがこの問題に関心を寄せ、切迫感を持って反応しているかを見せつけられた。

私が呼び掛けた「緊急アクション」は、ともすれば「私が若者を率いて行っている運動」と描かれがちだ。しかし、私の運動は「具志堅さんをはじめとする沖縄の方々に対する応答」でしかなく、目指す運動形態も「若者限定でなく、あらゆる世代が繋がった運動」である。今回繋がったウチナーンチュの方々の声全てに応答するつもりで直接行動に臨みたい。

サンフランシスコ講和条約発効から69年後の「屈辱の日」。この日は、ウチナーンチュの方々にまたずっと屈辱感を味あわせるのか、もしくは屈辱が和らぎ始める日になるのか、その分かれ目の日だと思う。どちらに動くか決めるのは、私を含めたヤマトンチュの態度だ。

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