沈黙を強いるのは誰なのか

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【おすすめ3点】

■海をあげる(上間陽子、筑摩書房)

沖縄での日々の暮らしをつづったエッセイ

■ビッグイシュー日本版399号(ビッグイシュー日本)

特集<「PFAS」。永遠の汚染>

■けーし風107号(新沖縄フォーラム刊行会議)

コラム北の風・南の風 貝の渚は蘇るか―大浦湾瀬嵩浜

普天間返還合意から25年

普天間飛行場返還のめどが立たないまま、日米の普天間返還合意から25年が過ぎた。その5日後、日米首脳会談で対中国の同盟強化が打ち出された。今回の共同声明を経て、台湾海峡有事の際、日本のコミットが強まるのは確実だ。沖縄が日米の「前線基地」の機能を果たせば、県民は再び戦争に巻き込まれる。「国家」が前面に立つとき、常に窮地に追い込まれてきた、琉球・沖縄の歴史を想起せずにはいられない。

だがそれでも、希望はあると信じたい。

コロナ禍のなか東京五輪・パラリンピックの準備が進む。大会組織委員会会長の女性蔑視発言といい、クリエーティブディレクターによる女性タレントの容姿を侮辱する演出案といい、顔役だった人たちの国際常識とのギャップが浮き彫りになった。だがこれも、日本型組織のゆがみを社会が矯正していく過程と捉えれば、負の側面ばかりではない、とも思う。

社会の価値観は多様化し、差別や偏見をなくす方向へと、少しずつだが、着実に変化している。社会人になりたての頃、「ジェンダーの問題で闘っても勝ち目がない」と沈黙した女性の元同僚も、今は組織の中枢で変化を促す役割を担っている。

あの頃、「この環境に慣れるしかない」と考えていた私も沈黙を強いる側にいたのだと、今になって気づく。マッチョな社風や上司、先輩の後ろ姿は、のちの人生でロールモデルとして1ミリも応用できていない。時代は変わった。

男女の人口比はほぼ半々。それぞれの職場や組織で男社会のルールを「わきまえた」ごく一部の女性が登用されるのではなく、幹部も含め人口比率に近づけば社会を変えられる、と期待も込めて思う。

だが、沖縄の人口は全国のたった1%。沖縄に対する歴史的な基地過重負担は明らかにマイノリティに対する差別である。私たちが変わらなければ、「本土」はいつまでも沖縄を都合よく使い続けるだろう。

1995年に沖縄で米兵による少女暴行事件がおきた。抗議集会が終わった頃、東京の大学院にいた琉球大学の上間陽子教授は指導教員の一人に、「すごいね、沖縄。抗議集会に行けばよかった」と話しかけられた。沖縄出身の上間は「強い怒り」を感じ、黙り込んだ。

「あの子の身体の温かさと沖縄の過去の事件を重ねながら、引き裂かれるような思いでいる沖縄のひとびとの沈黙と、たったいま私が聞いた言葉はなんと遠く離れているのだろう」

このとき自分のなかに沈んだ言葉を、上間は25年を経て書き下ろしたエッセイ『海をあげる』で、鮮烈に浮かび上がらせた。

「私が言うべきだった言葉は、ならば、あなたの暮らす東京で抗議集会をやれ、である。沖縄に基地を押しつけているのは誰なのか。三人の米兵に強姦された女の子に詫びなくてはならない加害者のひとりは誰なのか」

悔しさもあふれ出る。

「沖縄の怒りに癒され、自分の生活圏を見返すことなく言葉を発すること自体が、日本と沖縄の関係を表していると私は彼に言うべきだった」

沖縄に戻り、普天間飛行場の近くで暮らす上間は「沖縄で基地と暮らすひとびとの語らなさ」が目についた。日常をゆがめる米軍機の爆音のことを話題にするのを避ける人たちが周囲には結構いた。「近所に住む人たちは、みんな優しくて親切だ。でも、ここでは、爆音のことを話してはいけないらしい」。切実な話題は「切実すぎて口にすることができなくなる」のだ。

沖縄では「沈黙する生活者」が圧倒的に多い。

人体への悪影響が指摘されている有機フッ素化合物が沖縄の米軍基地周辺で集中的に検出されたのを受け、2019年に「水の安全を求めるママたちの会」を立ち上げた山本藍はこんな内実を明かす。

「周りとこの話はできないと言う人もいます。その理由は、米軍基地の話につながるから。『水の汚染が心配』ということが基地問題の議論になってしまう。県民はずっとそのことで分断されてきているので、怖いんです」(『ビッグイシュー日本版399号』)

沈黙が分断を避けるための術だとすれば、分断を強いているのは誰なのか、と問わずにはいられない。

新基地の埋め立てが進む辺野古の対岸にある瀬嵩浜。この浜に生息する貴重な貝を常設展示する「貝と言葉のミュージアム」所蔵の貝は2020年3月にちょうど900種に達した。

18年のミュージアム開設後も浜で貝の採集を続ける名和純は、無数の貝殻が帯状に敷き詰められる「貝の帯」が浜一面に現れる、瀬嵩浜の春先の情景を『けーし風』(107号)に活写している。

《しゃらしゃらと鈴のように貝の帯を鳴らして、潮が静かに満ちてくる。すると、汀の砂の中からスイカの種のようなものが無数に飛び出してきて、波に乗って光りくるめく。その波が引いたとたん、光る「種」は、いっせいに立ち上がって、サクサク砂に潜ってしまう》

「光る種」は潮の干満に合わせて砂浜を上下に移動するナミノコガイという二枚貝だ。この貝は2016年頃からほとんど打ちあがらなくなった。汀から貝の帯が消え、さらさらに淘汰されていた浜の真砂は、砂利混じりのねっとりとした泥に埋もれていた。しかし昨年6月、瀬嵩浜の汀を歩いていると泥に半ば埋もれたナミノコガイの新鮮な殻が久しぶりに見つかった。名和はこう念じる。

「ナミノコガイは大浦湾のどこかで復活の機会をうかがっているのかもしれない。大浦湾に再び潮が廻り瀬嵩浜にふかふかの真砂が蘇るまで、何年でも、何百年でも、待ち続けるに違いない。そのとき、貝の帯が再び浜一面に輝くだろうか」

心の底から憤っている人は、どれだけ絶望を突きつけられても立ち上がる。

【本稿は4月25日付毎日新聞掲載記事を加筆しました】

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