「沖縄」にかかわる若い世代が育む政治参加の新潮流

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自分の名前を出して声を上げる

沖縄県は5月14日、自然公園法に基づき、採掘開始前に遺骨の有無を関係機関と確認することなどを業者に求める措置命令を正式発令に踏み切った。

この先、あわよくば本島南部の土砂採取を阻止できても、辺野古新基地建設は止まりそうにない。万一、辺野古新基地建設が止められても、それで沖縄の過重な基地負担が解消されるわけでもない。そう考えると、「沖縄にかかわる」道のりは果てしなく遠い。決意のほどを測るような質問に、西尾さんは淡々とこう答えた。

「私がすべてのステップを担うことはできません。でも、南部の土砂採取の問題はミニマムラインだと思っています。イデオロギー以前の、非人道的なこの問題にすら『本土』が応答できなかったら、沖縄の犠牲はこれから永遠に続くと思います。だからこそ、今できることはすべてやります」

若者緊急ステートメントの呼び掛け人の中で、県内外の若者の「つなぎ役」ともいえる存在が沖縄県宜野湾市出身の元山さんだ。19年1月、県民投票に不参加方針だった5市に投票参加を訴えるハンストを、ドクターストップがかかるまで5日間続けた。この際、元山さんの名前はツイッターでトレンド入りし、全国メディアも大きく報じた。

約7割が辺野古埋め立てに「反対」の意思を示した県民投票後、元山さんは全国で計79回講演した。「みなさんがお住まいの地域でも取り組みができます」と、県民投票の結果を尊重するよう国に求める意見書の陳情や請願提出を呼び掛けてきたという。

「地元議会が意見書を否決すれば、自分たちが住む地域の意識の問題だとわかってもらえるはずです。辺野古の問題を『政府VS沖縄』という構図で捉える認識を変えなければ、と思っています」(元山さん)

今回、若者たちが「自分の名前を出して声を上げる」ことに加わった意義は大きい、と元山さんは言う。

「沖縄戦の犠牲者は県外、国外にもいます。沖縄戦の継承という意味でも、若い世代がしっかり応答するのは大事なことだと思います」

一方で気になるのは、本土メディアの報道の少なさだ。

「沖縄戦で亡くなった方たちの慰霊塔の多くは、糸満市の平和祈念公園内に都道府県ごとに建立されています。主要メディアが全国の問題として報じることが解決の糸口につながると思います」(同)

そもそも国が19年の県民投票の結果を尊重し、計画を見直していれば、今回のような事態も起きなかった。若者緊急ステートメントの賛同者には県民投票にかかわった若者も多い。

その一人、那覇市の普久原朝日さん(26)は元山さんのハンストを最も身近で記録した写真家だ。

普久原さんは県民投票から2周年に合わせ、2月下旬に那覇市内で写真展を開催した。最終日の翌日、会場の向いの県庁前で具志堅さんのハンストが始まった。

「明らかにおかしなことが目の前で起きている。この状況を記録に残さなければ」

普久原さんはいてもたってもいられなくなり、具志堅さんのもとに連日通い、カメラを向けた。

訪ねてきた高齢者が具志堅さんに深々と頭を下げる場面が、強く印象に残っている。沖縄の現在は沖縄戦と一直線につながっている、と実感した。

普久原さんの父親は沖縄戦で両親を亡くし、孤児として戦後を生き抜いてきた。父親が祖父(普久原さんの曽祖父)の名前も知らないのを知ったときは、「家系が途切れてしまった」ように感じ、ショックだった。

昨秋、普久原さんは政党関係者から今年7月の那覇市議選に出ないか、と打診を受けた。身内に政治家はおらず、自分が政治家になるなんて考えたこともなかった。それでいったんは断った。しかし、県民投票後も何も変わらない現実にあらためて向き合い、今はこう考えている。

「誰かに政治を委ね、任せるだけでは自分たちの民意は届かない」

政治の現場に挑む覚悟だ。

【本稿は週刊AERA掲載記事を転載しました】

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