沖縄が映す日本の全体主義化

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5月23日、沖縄県が緊急事態宣言下に入った。政権としては、宣言適用により、河野太郎氏・細田博之氏の沖縄蔑視発言で巻き起こった怒りの幕引きを図るつもりだったかも知れないが、自らの無責任を棚に上げて沖縄に自力救済を迫る国の傲慢さへの怒りはやみそうもない。

一連の国の沖縄に対する態度には、主に2通りの批判が浴びせられている。一つは沖縄差別・ヘイトを糾弾するものだ。コロナ・貧困をはじめとする、現在の沖縄を苛む諸問題は、軍事植民地主義的構造をヤマトから押しつけられてきたことに端を発するが、政権側はその歴史を差し置いて沖縄の後進性や依存心の強さに原因があるかのように強弁する。沖縄を侮辱したかと思えば、「沖縄への激励」などとパターナリズム丸出しの発言で言い訳する。SNS上では、国はまるでDV加害者のよう、と指弾する声が上がった。

もう一つは、国の無責任を追及し、政権を担う正統性を否定するものだ。国側は「自己決定」「一国二制度」などの言葉を都合良く用い、沖縄の自治を認めるかのような演出をするが、その内実は沖縄に対する自己責任論の押しつけである。細田氏は国の政策は「頼りにならない」と自ら認める有様だが、そもそも政府とは生存権をはじめとする基本的人権を保障する限りにおいてのみ正統性を持つのであり、自己責任論を堂々と主張する政府にもはや正統性はないはずだ。

このように、政府の沖縄に対する差別意識と、政治能力・責任の欠如を批判する声が主流のように思われるが、今回の記事ではあえて「第3の読み方」を試みてみたい。端的に言えば、一連の発言・態度が、現政権の全体主義的傾向の露呈だったのではないか、との読み方である。憶測が過ぎるかも知れないが、「戦前回帰」を思わせるくらい軍事化・強権化が進んだ現政権への注意喚起のため、一つの可能性として提示してみたい。

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