沖縄が映す日本の全体主義化

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コロナ禍の中でますます大衆の孤立化が進んだ

今日、東京・大阪で、「自衛隊大規模接種センター」の運用が始まった。大都市生活圏における軍事部隊の展開が始まったということだ。沖縄戦前と同じことが、日本全国で繰り返されようとしていないか。例えばワクチン会場が「国家安全保障上重要な土地」に指定されたらどうなるか。日本全体で、緊急の問題提起が必要だろう。

この状況を怖がりすぎるに越したことはない。治安維持法だって、当初は「労働者や思想家たちはあまりにこの法案を重大視し悲観的に考えているようであるが(中略)伝家の宝刀であって余り度々抜くつもりでもない」と説明されたそうである。同法の末路は、市民運動家の大量逮捕・虐殺であった。「重要土地等調査法案」も、いつ市民に刃を向けるか判らない。「今のところ一般住民は対象にならない」などと政府が取り繕っても、信じるわけにはいかない。それが、日本人が先の大戦から学んだ教訓のはずだ。

大臣や大物政治家の無責任な態度も、全体主義の重要な要素であるかもしれない。ハンナ・アーレントの『全体主義の起源』の「権力を掌握した全体主義」を読むと、ヒトラーの支配と現在の菅政権とが、極めて似通って見えてくる。

アーレントは全体主義を、階級と中間組織への帰属を失った大衆と、恣意的で予測不能な権力の分配によって特徴付けた。地域共同体・労働組合など、国家権力と個人との間の中間組織から切り離され、アイデンティティを失った大衆は、お互いに孤立した原子のような状態で社会を漂流する。そんな大衆が、アイデンティティの最後の源としてすがりつくのが、全体主義的支配者だ。大衆が支配者と中間組織の媒介なく直接結びつくことで、支配者の命令に盲従し、無批判なまま動員されることになるのである。

全体主義体制の中では、明確なヒエラルキーに基づく権力配分の規則はない。権力の配分は支配者の恣意によって場当たり的に変更され、部下は無秩序に異動・更迭される。支配者の下にいる大衆からは、統治に何の法則性も予測可能性も見えない。そうなると、支配者があらゆる法を司る「神」のような存在になり、大衆が生き残る道は、そんな「神」的支配者にすがり従うだけになる。こうして全体主義体制が出来上がるのだ。

現政権はヒトラーの支配と同じ形態をしているように思われる。政治能力と権力配分とが全く一致せず、ランダムな自己責任論・現場丸投げによって、権力配分がころころ変わる。内閣府特命大臣が乱立し、どのようなヒエラルキーや権力分配の規則があるか、全く見えない。

例えば、ワクチン接種は厚労省が一括して責任を負えば良いように思うが、「新型コロナウイルスワクチン接種推進担当大臣」との新たなポストが作られ、河野太郎氏がその座に着いた。そうと思えば、大規模接種は防衛省の管轄だという。地方自治体と国の諸官庁との責任分配も闇雲で、誰がどのような力と責任を持つのか判然とせず、予測不能だ。

ちなみに、河野氏は「新型コロナウイルスワクチン接種推進担当大臣」の他に、「沖縄北方担当大臣」「行政改革担当大臣」「国家公務員制度担当大臣」を兼務している。「沖縄北方担当大臣」としての発言で批判を浴びれば、「新型コロナウイルスワクチン接種推進担当大臣」として統率力をアピールし、失地回復すれば良い。こうした印象操作に絡め取られる人が出てしまっても仕方ないだろう。

元々中間組織の衰退が心配されてきた日本社会だったが、コロナ禍の中でますます大衆の孤立化が進んだと思う。オンラインの場での市民運動が高まっているのは救いだが、前回の記事でも書いたとおり、それが安定的・持続的な中間組織として機能するかは未知数だ。大衆の側にも「神」的支配者に惹かれる可能性があることに対し、自覚的であるべきではないだろうか。

今の日本には入国管理局という、事実上の強制収容所まで存在する。今の日本がナチスドイツそのものだとは言えずとも、両者の類似点の多さには背筋が凍る。

しかし、まだ日本には民主主義の残渣はある。憲法は形式上残存しているし、言論の自由までは奪われていない。市民の力で、なんとか「草の根の民主主義」を実践し、全体主義の闇から私たちの社会を守り抜きたい。

コロナ禍の今だからこそ、地元ベースの市民運動を通し、強い中間組織を作っていく必要があるのではないだろうか。これから6月議会が始まる地方自治体も多いはずだ。私は「遺骨で基地を作るな!緊急アクション!」の中で、土砂採取計画中止を国に求める意見書を地方議会で採択させるための運動作りを提案してきたが、今こそそれを実行に移すチャンスだ。実際、私も地元の大阪府茨木市と、その周辺数自治体で、意見書採択を目指した請願運動に取り組んでいる。

『伊藤真の憲法入門』には、一つの独立した章として「地方自治」を扱っている日本国憲法は、「国と地方自治体との対立関係」に基づく地方自治を「かなり重視」しているのだと書かれている (p.201)。自治を求める市民の運動によって、強固な地方自治を実践することが、国権の暴走に歯止めを掛け、立憲主義・民主主義を守ることに繋がる。

「遺骨土砂問題」の運動は、地方自治を盛り上げる起点として有用だ。現在私は、地元市議会の各会派との交渉を進めている。当初は「中央の方針」を理由に難しい顔をした方々も、この問題が左右のイデオロギー対立や辺野古新基地建設を巡る考え以前の人道上の問題であること、沖縄県議会をはじめ沖縄の複数の地方議会で全会一致の意見書採択を成し遂げていることなどを説明すると、前向きな協力姿勢に転じてくれた方もいた。

5月20日、豊見城市議会は一度否決された「沖縄戦の戦没者の遺骨等を含む土砂を埋め立てに使わないことを求める意見書」を、全会一致で採択した。沖縄では「草の根の民主主義」が、しっかり結実している。その事実をヤマトの市民が直接地方議員の方々に伝え、「地方議員は、中央からの上意下達に従うだけではいけない」と訴えることで、国と対等に対峙出来る生き生きとした地方自治を生み出していけるはずだ。

もしそうした運動を直接起こすのが難ければ、沖縄戦の歴史を学び直し、現在の社会情勢とどれほど重なるか考えるだけでも、現政権を批判的に見る重要なステップになると思う。棒兵隊さんのNoteは、一日ごとの沖縄戦の進展を追うことが出来るので、お勧めである。

もし地元の戦争体験談や市町村史を読むことが出来れば、戦時中沖縄とヤマトとの間にどのような情勢や意識の差異があったのか、沖縄と同様のことが起きる準備が地元でも行われようとしていたのではなかったか、当時の地元住民はそのことに無自覚でなかったのか、などを考えてみるのも良いと思う。日本全体で沖縄戦の歴史を学び直すことは、現政権の全体主義的傾向に見抜き、鋭敏に反応するための貴重な一手になるのではないだろうか。

76年前の今頃、首里城の第32軍司令部は米軍によって包囲され、住民を巻き込みながら南部に撤退、軍民混在の泥沼の地上戦に向かった。その結果、亡くなった時期や場所が確認できている沖縄住民8万2千人のうち、半数以上が首里陥落後の1か月に犠牲になったそうである。

同じ轍は絶対に踏みたくない。そのために、足下で出来る学び・運動に邁進したい。

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