「加害者・被害者のどちらかが具体的個人でないと、問題意識・当事者意識が持ちづらい」というのは、「遺骨土砂問題」を巡る運動の難しさにも繋がっていると思う。
「根本悪は辺野古新基地建設を強行する国だ」と言っても、「沖縄防衛局と契約を結んだ沖縄県内の業者の業務に、沖縄県知事が措置命令を下す」という部分だけ取り出されると、一体誰が悪いのか判らなくなる。沖縄防衛局の職員は到底アイコン的存在ではないし、菅首相や関係閣僚も、「遺骨に配慮」するなどと言いつつ、個別案件は沖縄防衛局が決めるといって白を切るので、批判の矛先を集中させづらい。下手をすれば、まるで沖縄県知事が不当な介入をしているように見えてしまう。
被害者についても、「全国・全世界にいる沖縄戦戦没者の遺族」では、ぼんやりしすぎているのだろう。この問題に対する遺族会の反応は薄く、沖縄戦体験者の方々や、4月21日の直接交渉に出られた日本軍遺族の方々の訴えが全国メディアで何度も報道される訳でもないから、「具体的な個人が苦しめられている」というイメージが形成されない。
そのうち、「沖縄のみならず、ヤマトだって遺骨収集が完了していない土地の土砂を使った開発をしてきたのだから、沖縄だけ特別扱いすべきではない」といった、暴力的な一般化が正論のように見えてきてしまう。
少しだけ話がそれるが、日本の歴史教育が制度論中心で、抽象度が高い社会の現象が統治者側の「上から目線」の叙述中心に描かれがちだという問題も、危機意識の喚起を難しくしていると思う。
中高時代使っていた日本史の教科書を復習してみたが、「庚午年籍」「刀狩令」「太閤検地」「寺請制度」「版籍奉還」など、徴兵・徴税等を目的とした検地・戸籍作成に関する叙述は多い。その記述を読んでいると、自分があたかも「検地・戸籍作成をする側」にいるような気分になってきて、個人情報を取られ徴兵・徴税された民衆の視点が薄らいでいくのに気づく(あくまで私の主観的実感だが)。
日本史を学ぶ生徒の過半は、「権力側に個人情報を提供させられる側」になるにもかかわらず、日本史を学んでいる間は「個人情報を提供させる側」という権力側の疑似体験が中心になってしまうのだ。
国土開発の歴史などについても同様の傾向があり、概して新田開発・荘園経営・殖産興業などの政策・事業を進める側の目線が中心で、その中で使役される大衆を主体とした記述は従属的な位置にあるような印象を受ける。
その結果、自分がいざ権力側から命令・使役される側になった時には、「国家安全保障や国土開発のために、個人情報・土地・労働力を提供するのは当然の義務だ」という思考を内面化してしまっているのではないだろうか。もしそうであれば、「重要土地等調査規制法案」や「遺骨土砂問題」で抗議している側が、世間にはあたかも「自分勝手な反乱者」のように見えているかも知れない。
私の推測が当たっているとすれば、当事者意識の低さを解決するために必要なのは、まず「被害者・加害者(または、高確率でそうなりうる人)として具体的な個人を示す」ことだ。
「重要土地調査規制法案」について言えば、沖縄平和運動センターが作成した、基地周囲1kmの範囲を示した図面が参考になる。主要駅や発電所なども高確率で対象になるのでは、と懸念されているし、「重要土地」を拡大解釈するとすれば、学校・民間空港・役所・大企業の倉庫などから対象に含まれていくだろう。基地・原発が地元にない人は、身近にある「重要そうな施設」の周辺1kmに何があるか可視化してみると良いのではないだろうか。
試しに、私が中高時代通学に使っていた大阪駅周辺1kmを図示すると、このようになる。かなり範囲が広いし、親しみのある施設も多く含まれるから、この法案の恐ろしさを一気に具体化することが出来た。
それに加え、「民衆は基本、権力側の作った制度に利用・搾取される潜在的被害者の立場にいる」という意識・警戒感を共有することも肝要だろう。そのために一番有効なのは、国が作った制度の犠牲にされた個人の体験を学ぶことだと思う。
沖縄戦では、軍が住民の生活の場に入り込み、地上戦に至るまで徐々に住民を動員・教化するプロセスがあった。沖縄住民の戦争体験については、膨大な手記・証言の蓄積があるから、体験記を読んだり、証言ビデオを見て、国策が個人をどのように犠牲にするか、個別具体的に学べる。小林多喜二・三木清ら、治安維持法の犠牲にされた著名人のライフヒストリーを学ぶのも一手だろう。
大手メディアの方々も、抽象的な専門用語で法案の問題を解説するだけではなく、具体性・確実性が高いシナリオを通し、市民がこの法案の危うさを身近な問題として実感できる報道の仕方をして欲しい。6月なので、沖縄戦体験者の声を全国報道するのも大切だと思うし、連日の訓練・事故・基地建設で「戦時化」が進む沖縄の現状を伝える努力もして欲しい。
とにかく、今は一人でも多くの市民が、軍事化した国の脅威に問題意識を持ち、立憲主義・民主主義の蘇生に向けて行動すると共に、リスクコミュニケーションの技術を磨くことが必要である。私も、一人の「リスクの伝達者」として、試行錯誤していくつもりだ。
「重要土地等調査規制法案」に危機感を持った方は、まずオンライン署名への参加から、この法案を廃案に追い込む動きに加わって頂ければ、と思う。