無力感に駆られるな!―「重要土地等調査規制法案」が成立した今、私たちにできること

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遺骨土砂問題への取り組み

もう一つ強調しておきたいのは、それぞれの地域での「草の根の民主主義」の実践に励むことだ。SNSでの運動だけをやっていても、実効性を感じられないし、いずれ空虚に思えてくる。だからこそ、運動の物理的現場も確保しておきたい。

この間私は、「遺骨の染み込んだ沖縄島南部からの土砂採取計画の中止を国に求める意見書」を、地元・北摂地域の複数の市町村議会の6月議会で採択させるべく、街頭アピール・ビラ配り・署名運動から議会の各会派回りまで、最後の一押しの活動をしている。

意見書採択を実現するためには、広汎な市民の後押しが必要だ。沖縄で起こる問題にあまり知識・関心がなかった人に対しても、「遺骨土砂問題」の深刻さと、自分たちの地域でその問題を考えるべき理由を説明しなければならない。

沖縄県南部の土砂には地元から出兵した日本兵のご遺骨も染み込んでいること、具志堅隆松さんら沖縄の人々が「人として」「日本全国で」この問題に取り組んで欲しいと呼び掛けていること、「遺骨土砂問題」が「国民の尊厳より、安保体制を基にした現在の国体を優先させる」という国の構造上の問題を象徴すること… 様々な語り口を用いて、地元の市民の方々に当事者意識を持って貰うことが必要だ。

そうした対話の過程で、「遺骨土砂問題」と、その背景にある日本社会の構造の問題に対する自分自身の理解も深まるし、社会批判の精神を市民の方々と共有することも出来る。日本社会の構造悪を追及するトレーニングの取り組みを広げれば、「遺骨土砂問題」のみならず、今の日本が抱える多様な問題を地方から正す継続的な動きが育つだろう。

地方議員の方々の説得も、一筋縄ではいかない。本来なら、各議員の方々には地方自治の担い手の一人としての自主独立した判断をお願いしたいが、実際は国政との絡み・中央に対する忖度・会派内部の調整などの都合に左右される。それ以前の問題として、議員の方々自体、沖縄で起こる問題への知識・当事者意識に欠いているという実情も見えてくる。

日本国憲法は、「第8章地方自治」という独立の章を作ってまで、地方自治の原則を重要視している。国の下請けに成り下がることなく、地方自治体が独立した意志決定を行うことが、国の全体主義化を防ぎ、平和を守るのに繋がるからだ。

「中央への忖度ばかりしておらず、地方としての自己決定を実現して欲しい」と、市民が直接地方議員の方々に訴え続けることで、市民と議員との間に良い緊張関係を作り、地方自治を実体化していけると考える。

とはいえ、こちらの要求ばかり無理強いしても、議会は動かない。議員の方々が意見書に賛成しやすいよう、種々の説得の手法を模索せねばならない。「遺骨土砂問題」であれば、沖縄県議会で全会一致での採択が実現したことは、国政での与野党対立を越えての意見書採択が沖縄県外でも可能だと呼び掛ける重要な根拠になる。

議員の方が当事者意識をもって意見書に関わって下されば、「遺骨土砂問題」への市民の認知も一層高まる。議員の方々が、後援会・市政報告会・街頭活動などの場において、この問題のことを語ることに繋がるからだ。地方議員の方々には、こうした「市民生活と国政との橋渡し」の役割を期待したい。

とはいえ、「結果的に、自分の党が進める辺野古新基地建設に反対する意見書になるのではないか?」との懸念から賛成を渋る議員の方々も少なくなかった。ある議会で会派回りをした時には、その自治体をお膝元とする国会議員が辺野古新基地建設に前向きであることを理由に、「会派として意見書に同意できない」との雰囲気を滲ませられることもあった。会派間の調整に失敗し、9月議会に意見書を持ち越さざるを得なくなった場合もあった。

「人として」当然支持すべき主張が通らないことに、一市民として忸怩たる思いだ。ただ、議員の方々と交渉する過程で、地方議員の方々自身、国政と市民との板挟みにされている実情を学ぶことが出来る。地元選出の国会議員が、どれほどの無理を地方に強いているかも見えてくるし、その実感を維持出来れば国政選挙で適切な判断を下すことも可能になるだろう。

市民が「喉元過ぎれば熱さを忘れる」状態に陥らず、国政の改革や政権交代を現実のものにするためにも、地方での直接行動は重要だと思う。

ともかく、重要土地等調査規制法案が通ったからと言って、無力感に駆られたり、非暴力の訴え・行動を諦めたりすると、国の思う壺である。言論でも運動でも、まだ市民に出来ることはいくつもある。それをやり続け、一度殺された日本の立憲主義・民主主義を復活させたい。

政権ばかりを悪者にして(勿論、現政権が極悪なのには変わりないが)無力感に駆られるのは、「中国脅威論」に通じるところがある。中国脅威論者だって、「日本が独立し、自己改善する力がある」と信じられないからこそ、外敵を探し陰謀論を振りまくのだ。私は「中国脅威論」にも、「菅政権脅威論」にも与しない。主権者の担い手たる市民が、そして地方自治の担い手たる地方自治体が、自らの努力で解決できることがまだたくさんあるはずだ。

6月19日から23日まで、具志堅隆松さんは「遺骨土砂問題」への問題提起のため、再度のハンガーストライキに入られる。そもそも3月の第1回ハンストの際に十分な全国世論の喚起が出来ていれば、今回再びハンストをする必要はなかった訳だから、第2回ハンスト断行の報道を見た時は申し訳ない思いに駆られた。

今回、同じ過ちを犯すわけには行かない。6月23日には「沖縄慰霊の日」という、最大の「節目の日」が来る。今度こそこの問題の全国周知のため、私も一層の訴えに励みたい。

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