島々を日米同盟の「盾」にする要塞化計画――鹿児島県・馬毛島で何が起きているのか

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「対米従属」の風景

日本は民主主義国家――。確かにそれは、否定はできないだろう。「小選挙区制」といういびつな仕組みとはいえ、選挙は決められた通りに行われているし、国民が「主権者」であることは憲法にも明記されている。しかし、である。その国民が今まさにこの国で行われていることに目を向けないとしたら、そもそも「民主主義」など正常に機能するはずがない。

 馬毛島という日本列島の南の果ての小島で権力中枢が目論んでいることは、この国の命運をも左右する重大事だ。希少で多様な「生き物の楽園」を潰して、日米両国の軍事機構が自由自在に使うことのできる、いわば「軍事の楽園」にする。むろん訓練をするだけではない。万一、アメリカと中国の間の確執が紛争に発展すれば、最前線の拠点になり、当然、相手からの攻撃目標にもなりうる。

 沖縄の宮古島や石垣島、鹿児島の奄美大島など、南西諸島の島々に配備されている自衛隊の部隊が、島民の安全を守るためのものではなく、アメリカ軍による対人民解放軍作戦構想を下支えするものであることは前回の記事で書いた。馬毛島に造られようとしている基地はその一角にあって、補給を担う最重要拠点にもなり得るのだ。

もし仮に、これが自衛隊だけが使う基地であったならば、政府もこんな進め方はしないかも知れない。しかし、アメリカ政府との「約束」になれば話は別だ。わが国の政府が「アメリカの御意向」を仰ぎ見るとき、「地元住民の声」など耳に入らず、ものの数ではなくなることは、沖縄・辺野古の米軍基地の埋め立て工事で、いやというほど思い知らされている。このままいけば、辺野古と同様、「敗戦後日本」の「対米従属」の風景を馬毛島でも目の当たりにさせられるかも知れない。

 だが、政府のせいにしてはいられない。もし「主権者」たる国民がこの事態に無関心を決め込んで見て見ぬふりをするならば、その責任こそがなによりも問われるべきなのだ。今、私たちの国は何を行おうとし、どこへ向かおうとしているのか。もう一度、見つめなおし、考え直すことは、ほかならぬ日本国と私たち日本人自身を守るためにほかならない。

【本稿は「note」より転載しました】

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