菅首相退陣後の政治と沖縄

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「菅政治」と沖縄

 その菅氏は、首相としてだけでなく、7年8カ月に及んだ第二次安倍政権の官房長官として、米軍基地問題を中心とした沖縄への対応を一手に担った。沖縄からすればこの間、「菅政治」に否応なしに向き合うことになったのである。

 「仕事師」として鳴らした菅氏の手腕が、沖縄に関してその冴えを見せつけた「絶頂」は、官房長官時代の2013年に仲井真弘多県知事から、辺野古新基地の着工に向けてハードルとなっていた埋め立て承認を取り付けたことだろう。保守系でありながら普天間基地の「県外移設」を掲げて再選を果たした仲井真氏から承認を引き出すために周到に手を打った末の、仕事師ならではの「成果」であった。

しかし、仲井真氏の豹変は沖縄での猛反発に直面する。菅氏の「仕事師」政治は一方で、民意に向き合い、語りかけて合意を探るという民主主義本来のあり方を不得手とする政治でもあった。新基地反対と「オール沖縄」を掲げて登場した翁長雄志知事に対して、菅氏は実質的な対話を拒み、冷遇を徹底し、翁長氏の足元を切り崩すことに労力を注いだ。

「仕事師」「勝負師」として、ここで弱みを見せれば、凄腕官房長官としての権勢に傷がつくという打算もあれば、自身が進めていることは、たとえその時点では不評でも、いずれ評価される正しいことなのだと思っていた節もある。

そのような中で、辺野古新基地建設のための工事は、菅首相とその側近が、現場のクレーンの上げ下げまで目を光らせると言われるような、菅氏の「直轄案件」となった。あまりに乱暴な進め方に対して違和感を抱きつつも、「官房長官/首相の直轄案件だからね」と声を潜める永田町、霞が関の関係者は少なくなかったように思う。

菅氏にとっての「二つの誤算」

 有無を言わせぬ新基地建設の推進と手厚い振興策という「アメとムチ」を駆使して翁長県政を揺さぶる。そして翁長再選を阻止し、保守勢力による県政奪回によって、普天間移設・辺野古新基地建設めぐる論戦に政治的な終止符を打つ。それが菅氏の「沖縄政策」の根幹であり、それが功を奏するかにも見えた。

 しかし、その菅氏が直面したのが二つの誤算であった。その一つは翁長知事が病気のために他界し、後継者不在と見えた中から急遽、衆議院議員であった玉城デニー氏が浮上し、その勢いのままに翁長後継として、菅氏の推す保守系の候補を下したことであった。県政奪回は不発に終わる。

 そして二つ目の誤算は、辺野古新基地建設予定地における海底での軟弱地盤の発覚である。マヨネーズ状ともいわれる軟弱地盤の発覚によって、新基地完成までの工期と見込まれる予算は大きく膨張し、「普天間基地の早急な危険性の除去」のための「唯一の解決策」が辺野古新基地であるという菅氏の主張に疑問が呈される状況になったことは否めない。

 とはいえ菅氏にとっては、ここまで無理をして振り上げたこぶしを、今さら下ろすわけにもいかない。安倍・菅の長期政権ですっかり硬直してしまった普天間・辺野古問題であった。

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