総選挙で「左に寄り過ぎた」が意味することは?

この記事の執筆者

雇用、景気、社会保障…

 そもそも今回の総選挙で特に重視する政策や争点は何かという問いに対しては、①景気や雇用(78%)、「年金など社会保障」(72%)、「新型コロナウィルス対策」(70%)など社会政策、経済政策が圧倒的な上位である(『読売新聞』2021年10月15日)。

立憲の伸び悩みは、この辺りで説得的なメッセージを発することができなかったことであり、ここ数年の連合も絡んだ野党再編劇のゴタゴタも、「内輪」の統治すら十分にできないのに、国家の運営ができるのかと、十分な信頼を獲得できなかった要因として作用しただろう。

 いずれにせよ、「体制選択」が争点だったとは思えない。「体制選択選挙」だと訴えた甘利氏は、選挙戦の最終盤では地元に張り付いて「日本には甘利明が必要なんです」とマイクを手に叫んだが、選挙区で落選という憂き目にあって幹事長を辞任した。だからといって、同氏の選挙区で有権者が「体制選択」をしたわけではあるまい。

「米中冷戦」というけれども

「冷戦体制メンタリティー」と親和性があるかに見える「米中冷戦」にしても、実際にはどのような領域をめぐる摩擦なのか、よく見極めるようにしないと、日本の選択を誤ることにもなりかねない。

 また、安全保障をめぐる問題を、かつてのように「親米」「反米」と、もっぱらアメリカとの関係と重ねて論じることも、あまり生産的な議論にはならないだろう。

いずれにせよ、現状の日本政治で「左に寄り過ぎた」など、「左右」のラベルで物事が語られる際には、それが実のところは何を意味しているのか、十分に注意して見極めるようにしたいものである。

この記事の執筆者