未完のサンフランシスコ体制と沖縄復帰50年【上】

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沖縄復帰50年、サンフランシスコ講和条約70年

 今年、2022年は言うまでもなく沖縄の本土復帰(1972年)から50年という節目の年である。その一方で今年は、サンフランシスコ講和条約の発効(1952年)から70年でもある。

昨今の沖縄をめぐる状況、とりわけ東アジアの国際情勢を見渡したとき、日本敗戦後のアジア太平洋の国際秩序を安定させる枠組みとして構想されたサンフランシスコ体制(同条約を基盤とした国際体制)が「未完」に終わっていることの意味を、改めて考えざるを得ない。東アジア国際秩序をどのように安定させるか、それはサンフランシスコ体制の「未完」に端を発する歴史的な課題なのである。

サンフランシスコ講和条約とは、太平洋戦争に敗れ、アメリカをはじめとする連合国の占領下におかれた日本と連合国との講和条約である。この条約が1952年4月28日に発効(効力を発する)ことによって、日本は7年余りに及ぶ占領期から脱し、主権を回復した。

「主権回復の日」と「屈辱の日」

 沖縄との関係で言えば、「主権回復の日」をめぐる騒動を思い出す方も少なくなかろう。

「戦後レジームからの脱却」を唱えた安倍晋三首相は、第二次政権発足後の2013年4月28日を「主権回復の日」として祝うことにした。しかし、沖縄からの強い反発を引き起こし、結局、一度きりで終わった。

同条約第3条によって米統治下に留め置かれた沖縄にとってこの日は、祝うどころか「屈辱の日」と呼ばれている。当時の仲井真弘多知事は東京での式典に出席せず、沖縄では1万人あまりが参加する抗議集会も開かれた。沖縄と本土の間に広がる歴史の断層を図らずも浮き彫りにした「主権回復の日」騒動であった。

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