【質疑応答】
――「島守の塔」は、沖縄戦が終わってまもなく沖縄県庁職員の生存者を中心に建てられたとのことですが、その後の沖縄戦の実態調査や戦争体験者の思いとは違うところで建てられたように思われます。それが今日の「復帰」50年に向けた映画「島守の塔」のキャンペーンにつながっているように思うのですが、いかがでしょうか。
伊佐:「島守」という名称ですが、ヤマトでも疎開はありました。大都市から田舎の方にたくさん学童疎開が行われていますが、それをやった各県の知事たちは、その県の「島守」とか「命の恩人」とか言われているんでしょうか。私は聞いたことがありません。そういう例があればぜひ教えていただきたいですね。そして、先ほど言いましたが、疎開というのは内閣が決めたのですが、その発案は大本営陸軍部がして、そのあとに閣議で決定したということを押さえておくべきです。知事や警察部長が独自に計画を立てて実行したのではなく、あくまで大本営と政府の方針を各地方が忠実に実施したのです。
――島田叡顕彰の動きは根が深く、2015年には島田叡氏事績顕彰期成会が1000万円近くの寄付金を集めて奥武山運動公園に「島田叡氏顕彰碑」を建てています。その寄付者名簿には、沖縄県知事公室や総務部、沖縄県警察本部、沖縄県教育庁のほか高校が12校も入ったりしています。また「島田杯」などを野球を通じて顕彰運動が行われているようです。私たちが沖縄戦をどう総括して子どもたちにどういう教訓を残すかという問題の一つだろうと思います。この動きに今後どう対応した方がいいと思われますか。
伊佐:「生きろ――島田叡:戦中最後の沖縄県知事」(佐古忠彦監督)という映画がすでに放映されましたが、それに続いて今度は「島守の塔」(五十嵐匠監督)という映画の製作が進んでいます。いずれもヤマトゥンチューの監督ですが、この「島守の塔」製作委員会には琉球新報社や沖縄タイムス社も入っていて、一昨年(2020年)1月に結成された「製作を応援する会沖縄」呼び掛け人には、1999年に新沖縄県平和祈念館の沖縄戦展示で改竄事件を引き起こした知事と副知事をはじめ、企業やメディアの社長などがズラリと名をつらねています(同年1月23日付『琉球新報』)。
そのうちの琉球新報社ですが、今年の慰霊の日には、沖縄戦の特徴は第32軍と沖縄県の行政による住民の根こそぎ動員だったという骨子の大特集を組んでいるにもかかわらず、この映画製作を支える主要メディアなんですね。これについては、11月30日付『琉球新報』の「第48回読者と新聞委員会」で、委員の知念ウシさんが「新報は映画『島守の塔』の制作委員会に入り、読者に寄付を求めている。矛盾しないのか」と問いかけています。それに対して琉球新報社の玻名城泰山社長は、「映画制作は事業」部の仕事としたうえで、内容については「沖縄戦研究家の助言を得ながら、脚本にも目を通した。監督も『戦争が人間にもたらしたものを描く』と話しており、命と平和の尊さが伝わる作品に仕上がるのではないか」と返答しています。いや、これは大まかな話であって、具体的なことはほとんど説明していません。
これだけを聞くぶんには反対するもしないもない。その沖縄戦研究家が嶋田知事と荒井警察部長がなしたことをどう評価したうえで、どんなアドバイスをしているのか、この研究者はいったい誰なのかを聞きたいですね。こうしたことを明確にするのは大事なことで、別に隠すこともないでしょうから、堂々と公開して議論をしてほしいものです。
なお、2015年6月に「島田叡氏顕彰碑」が建てられたとき、私は沖縄戦に関する研究成果があまりに軽視されていると思ったものですから、先ほど紹介した嶋田の赤木追悼文をベースにした拙文(「上海の嶋田叡」)を、9月1日と2日の琉球新報に掲載させてもらいました。国家のためだったらどんな状況でも一身を投げ打って、与えられた仕事を貫徹するという意志堅固な内務省官僚が沖縄に知事として赴任してきたことを多くの人たちに知ってもらいたいと思ったからでした。
私は事跡顕彰期成会の嘉数昇明会長に嶋田が書いた追悼文のコピーと私が新報に執筆した連載文をお送りしました。しかし、お礼状はいただいたのですが、嶋田と私の文章の中身についてどう思ったかの感想はありませんでした。
大事なことは不明な点や疑問点を検討し考えることです。私もウチナーンチュなのであまり悪くは言いたくないんですが、ウチナーンチュはものごとを突き詰めて考える力が弱い。とくに不都合な事実、あるいは信じていたものにあやしい予感がある場合などがそうです。見たくない真実や隠れたウラを冷静に探求しようとしない。人間がいいといえばそれまでですが、そうした姿勢がないと、歴史や社会を学ぶことにつながらないし、私たちウチナーンチュも成長しないと思うのです。
今の沖縄をめぐる状況を考えるに際し、嶋田叡知事「恩人」像は格好の問題提起です。「歴史は繰り返す」とよく言いますが、繰り返させないためにも、あの沖縄戦争から何を学んで、これから先の私たち及び沖縄社会に、どのくらい腹の足しにしていけるかかが大事だと思いますね。」(以上、引用を除いて、「島田」ではなく「嶋田」で統一した。)
*本講演は、連続講座:日本「復帰」50年を問う 第8回「沖縄戦時の知事・島田叡と戦争責任」(2021年12月4日、@レキオスクールスペース、主催;命どぅ宝! 琉球の自己決定権の会)での講演を『Lew Chew 琉球』編集部がテープ起こししたものに、伊佐眞一氏が加筆・修正したものです。
【本文は、『Lew Chew 琉球』(No. 86、2022年1月10日発行)からの転載】