『戦後沖縄の政治と社会』―復帰50年を考える視座として

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第1章 反共社会の形成と反米政党の活動(高江洲昌哉・歴史学)

本章は、アメリカ統治期の人民党の活動を分析した内容になっている。これまでの研究では瀬長亀次郎への言及が中心であったので、弾圧と抵抗のせめぎあいを人民党全体で捉えてみるとどのように描けるのかということで、「反共」と「反米」を切り口に、沖縄を東アジアの反共社会のなかに位置づけて、その特質を考えたものである。

本章では、未成立に終わった防共法をめぐるやり取りや、共闘候補の動向、1960年の選挙から連続当選した古堅実吉の立法院での発言などに注目し、アメリカ統治期の人民党への弾圧と抵抗のせめぎ合いを描き、韓国や台湾ほどひどくない反共社会の姿を確認した。

もちろん「反共と反米」という設定に対し「人民党は共産党ではない」という反論もあろうが、本章はアメリカが「でっちあげ」をしてまで、なぜ人民党を解党しなかったのかという疑問のもと書いたものである。それは、 解党することで沸き起こる怒りへの脅威のためできなかったのか、それとも、アメリカが許容できる範囲の抵抗政党なので解党しなかったのか、「できなかった/しなかった」の分岐点を考えてみると、言い換えることもできる。

例えば、1964年6月にアメリカの経済援助の拡大に対し古堅実吉は「アメリカ帝国主義の…許しがたい欺瞞政策」と立法院で批判したが、特に議員資格をはく奪されず、その後も当選した(38頁)。アメリカがこうした「反対者」をどのように遇したのかという疑問は、アメリカ統治期を考える一つの素材になろう。もっとも、この回答は、単にアメリカが民主的に統治したとの結論にはならない。本章を手がかりに、基地社会を形成するために、民主主義と「弾圧」が併存した戦後沖縄の政治像を深めるきっかけにしていただきたい。

第2章 沖縄と外資(小濱武・経済学)

本章は、日本復帰前の沖縄経済開発の実態を、外資導入制度に着目して分析した。外資導入とは、(日本を含む)外国企業の誘致等によって、大規模な資金や優秀な人材、高度な技術等を導入し、沖縄経済を発展させる政策である。ただし、進出してきた外国企業との競争等によって地元産業が圧迫される可能性もあり、外資導入をどの程度許容するのかは、その国や地域の経済発展のあり方ともかかわる重要な問題である。

沖縄においては、統治者であるアメリカ側は外資導入を積極的に推奨するような制度(「自由化体制」)を作ったが、琉球政府や沖縄「保守勢力」は外資導入を制限し、地元産業を保護しながら経済を発展させ、「自立経済」を達成することを目指していた。アメリカ側の委員と琉球政府側の委員で構成された「外資導入合同審議会」が設置され、そこで認可された外国企業のみが沖縄への進出を許されるという仕組みによって、両者の利害が調整されていた。

本章は、この「外資導入合同審議会」の議事録を分析して、当時の外資導入制度がどのような実態であったのかを描き出した初めての研究である。とくに、沖縄への進出を希望しながらも審議会で認められなかった事例に着目して、誰がどのような理由で認めなかったのかという「拒絶の論理」を検討した。事例の中には、アメリカ側としては進出を認めたかった企業であっても、沖縄側の強固な反発により断念されたものも含まれる。

当時の沖縄は、アメリカ政府や日本政府からの援助に依存しながら経済開発を進めなければならなかった。そうした状況下で、いかに「自立経済」を達成しようともがいていたのか。本章の射程は、決して歴史研究だけに収まるものではなく、現在の沖縄にも向けられている。

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