編者が語る~座談会「つながる沖縄近現代史」【中】

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―米軍統治下の人権無視の状況から「平和憲法の下への復帰」というスローガンもありましたが、沖縄の人たちは復帰によって何を求めたのでしようか。復帰運動を担った労働組合の人たち以外も含めていかがでしょう。

古波藏 様々なレベルがあると思います。批判者からよく言われるのは、教職員や琉球政府職員をはじめとする公共部門の労働者の直接的な利害ですね。復帰すれば自分たちの給料が上がるという。でも、その人たちも含めて、多くの人たちは、もっと漠然としたものを見ていたんだろうと思います。おそらくですが、日本復帰時に多くの人が祖国に見ていたものは、「自分たちにはきっと帰る場所があるはずだ」という農村社会を脱して行くときのメンタリティーみたいなものだったのではないでしょうか。息苦しさやなんとなくの閉塞感や不安感、所在なさみたいなものを埋め合わせるものとして、「ここじゃないどこか」としての 「祖国」 という言葉があったんだと思います。

 共同体が壊れていく感触と祖国を目指すという感触は連動している、と感じます。これは、まったくの想像というわけではなく、近代化論の考え方を批判的に再構成すると出てくる見方です。これは近代化によって共同体が壊れると、人は不安定になって左右両極端に行きがちだから、別の新しい共同体を見繕ってやらないといけないというという理論なんですが、沖縄の場合、そこに「祖国日本」がうまくはまった。でもそれは基本的に幻想で、復帰した後になると、「こんなはずじゃなかった」、という虚脱感みたいなものが残ってしまう。

秋山 もちろん、基地がなくなることへの期待と、それが実現しなかったことへの反発は沖縄社会に根強くありました。ただ、復帰前の意識調査を見ると、復帰を望む方向性は一致していますが、一気に進めるか、段階的に進めるかで差が出ています。興味深いのは「即時全面復帰」を支持する人たちは、その理由として「同じ日本人だから」という日本人との一体性を挙げていることです。先ほど平和憲法の話がありましたが、ある種の憲法ナショナリズムとも言えると思います。一方で段階的な復帰を望む人たちの中には、身近な生活が壊されるんじゃないか、という経済的な不安感がうかがえます。

秋山道宏・古波藏契・前田勇樹共編著の『つながる沖縄近現代史』(ボーダーインク刊)

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