編者が語る~座談会「つながる沖縄近現代史」【中】

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―沖縄戦で県民の4人に1人が亡くなり、とても悲惨な目にあったのに、米軍統治の27年を経て、今度は日の丸を振って「祖国復帰」を願う、という流れになったことについてはどのように見ていますか。

古波藏 沖縄戦から間も空けずによく日の丸振れるよねという話は、やっぱり大事ですよね(笑)。言うほど平気ではなかったと思いますよ。記憶の問題というのは厄介で、何を言っているのかということと、何を感じているのか、というのは当たり前ですが、ずれるわけです。現状からの出口はもう日本しかない。米国は勝手に占領しているわけではなくて1952年以降は日本との条約に基づいて「日本の主権のもとにある沖縄」ですから。日本の平和憲法も高度成長も沖縄が占領されているからだろうと、反復帰論流に指摘できても、普通の人たちはそうはならない。そう言ったところで出口がないなら、いろんなことを忘れたことにして前へ進むという形になりますよね。日の丸を振りながら何を感じていたのかといえばじつはよくわからない。ただ、平気で振っていたわけじゃないっていうところも大事ですよね。 

秋山 1969年に NHK が「沖縄の勲章」というドキュメンタリーを放映しているのですが、勲章を授与される沖縄の人たちの表情が印象的でした。そこに映し出されているのは、喜びの表情ではないんですよね。叙勲というのは、援護法などによる経済的な補償とセットで行われたものですが、それを苦渋の表情でもらう人たちと、復帰運動で日の丸を振っていた人たちのメンタリティーは重なっていたんじゃないか、と思うんです。沖縄戦での苦しい経験を言葉に出し、勲章を拒否することもできず、かといって主体的に喜ぶこともできないという引き裂かれた思い。そういう感覚の表れとして、日の丸を振るという行為や叙勲の際の表情を捉えることもできると思います。

古波藏 歴史の検証の難しいところで、言語化されたものでしか話を紡げないんですが、色んな所でそんなはずはないということが沢山ある。突発的に何か事件が起きて、その見方は間違っていたんだということがわかったりもする。

 海邦国体の時に日の丸を燃やした話も、突然思いついて燃やしたわけじゃないわけです。実行した方は、その時期、会場になってた読谷で集団自決の聞き取り調査をしていました。集団自決の話というのは、実は戦後あまり語られてこなかった。沖縄戦の話にも通じますが、それは基本的に自分たちもコミットしているという意識があるからです。たとえ国策に強いられたとしても、当事者間には被害加害の関係があって、でも同じメンバーで同じ地域に暮らしている。みんなわかってるけど、今を平和にやり過ごすために口をつぐむという領域があるわけです。ところが国体では、人が黙ってるのを良いことに、いけしゃあしゃあと日の丸を揚げちゃった。ちょっと待ってくれよ、という気持ちが、行動に移されたんじゃないでしょうか。

 語られていないからとか言語化されていないからとか、違うことを言ってるからというのとは、違う話が水面下にある。そういう特質はありますよね。

<以下、【下】へ続く>

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